江梨鈴木氏とは? わかりやすく解説

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江梨鈴木氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/09 05:41 UTC 版)

江梨鈴木氏
(家紋)
本姓 穂積姓藤白鈴木氏支流
家祖 鈴木繁伴
種別 武家
士族
出身地 伊豆国田方郡江梨村
主な根拠地 伊豆国
武蔵国
著名な人物 鈴木繁宗
鈴木繁定
支流、分家 小屋瀬鈴木家武家
旗本鈴木家武家士族
凡例 / Category:日本の氏族

江梨鈴木氏(えなしすずきし)は、日本の武家のひとつ。伊豆鈴木氏とも。本姓穂積氏。家系は穂積姓鈴木氏の本宗家である藤白鈴木氏の支流の一族で[1]伊豆国に下向した鈴木繁伴を初代とする。足利氏満に招かれて伊豆・相模国の船大将を務め、後に後北条氏に属して伊豆の江梨五ヶ村を支配した[2]通字は「」または「」。

概要

鎌倉時代から室町時代

元弘元年(1331年)、後醍醐天皇鎌倉幕府倒幕の旗を挙げたとき、藤白鈴木氏当主・鈴木重実の長男である鈴木繁伴(鈴木重伴)は、鎌倉幕府14代執権の北条高時の命により熊野に来た護良親王と戦ったが、鎌倉幕府は倒れて窮地に陥り、建武3年(1336年)、家臣ら30余名を率いて海路で伊豆国に下向し、大瀬崎から上陸して田方郡江梨村(現・静岡県沼津市西浦江梨)に立てこもった。その後、後醍醐天皇の建武の新政が崩壊すると、本拠の紀伊国藤白に戻った[3]

観応2年(1351年)、繁伴は足利尊氏と弟の足利直義が争った薩埵峠の戦いで直義派について敗れて再び伊豆江梨村に逃れたが、『巡礼問答』によればこのとき繁伴は一騎で渚に沿って落ちのびていたところ、沼津西光寺浜で追いかかる敵八騎を斬り倒し抜きたる太刀が「数珠丸」として江梨鈴木家に伝わっており、明応地震津波により失したという[3]。また、繁伴は江梨に下って以降は大瀬神社で祭祀にいそしんだとされる。繁伴の郎党には渡邉氏加藤氏、武氏、木島法印などがいた[3]

繁伴はその後鎌倉公方足利基氏に帰属し、関東管領上杉憲顕から江梨村の領有権を認められた。貞治6年(1367年)には足利氏満に招かれて、伊豆・相模国の船大将を命じられ、東国における室町幕府水軍の総大将となった[3]。また、鎌倉公方に招かれて伊豆江梨村に下ったのは繁伴の子・重行の代とする説もある[4]

江梨鈴木氏は後に江梨村のほか、久料、足保、古宇、立保を含めた江梨五ヶ村を支配するようになり、西伊豆随一の有力武門へと成長していった[2][3]

菩提寺の航浦院は、鈴木繁允(兵庫頭)の三世とされる鈴木左京大夫繁郷の開基と伝えられ、院号は繁郷の法号「航浦院殿前左京兆江巌道海居士」にちなむという[2]

戦国時代

大瀬崎の空中写真(1983年撮影)
鈴木繁伴が上陸し、最初に居館を築いた場所とされる。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

明応2年(1493年)、伊豆に北条早雲が侵攻してくると、当主の鈴木繁宗兵庫助)は堀越公方から離れていち早く馳せ参じ、堀越公方足利茶々丸攻めに参加した(『北条五代記』)[4]。その後は後北条氏配下の伊豆水軍(北条水軍)を率いる武将のひとりとして、伊豆衆21家のひとつに数えられた。また、江梨鈴木家文書中の大道寺盛昌書状に「御入国前後の忠節」や「数ケ度之忠節御感状数通拝領」により「其郷(江梨)不入子細者、早雲寺殿様駿州石脇御座候時より申合」とあり、江梨鈴木氏が早雲による伊豆討ち入り前後の忠節により不入の特権を得ている[5]。また、このころ早雲が駿河国石脇城に在城していたことがこの書状から知られる[5]

明応7年(1498年)に発生した明応地震の際に江梨村にも大津波が押し寄せたとされ、『開基鈴木氏歴世法名録』[6]には、

明応七午年八月廿五日未刻江梨村津浪寄来而庶人海底沈没不知数此時家系及重代之財宝等悉失之

また、明暦3年(1657年)再編の『航浦院縁起』[7]には、

後光厳院御宇貞治之頃鎌倉公方足利氏満公被招請伊豆相模両国之船大将鈴木兵庫允繁伴四世次郎兵衛尉繁用父之航浦院殿前左京兆為菩提後花園院御宇文安年中造立ス以法名号航浦院

本尊者後土御門院御宇明応七午年八月□五日至未刻津浪寄来如覆天地依之男女之庶人海底之滓成者不知数此代者繁用之嫡子兵庫允繁宗也女子壱人引汐門外之榎二本之間ニ打挟両眼出露命且助ス然ハ萬行山峯之薬師竭丹衷祈祷七日之間平癒任立願奉安置当寺山号萬行山ト云右者系図之趣□予平昔依所聞為後覚記之備当寺什物者也

重家ヨリ十四代 明暦三丁酉八月四日

鈴木三郎左右衛門尉穂積重義

とあり、大津波により多くの庶人が海底に沈み、江梨鈴木氏の系図と財宝が家屋とともに流出したと記録されている。また、この津波で鈴木繁宗の娘が両眼を患ったため、航浦院の薬師如来に回復を祈ったところ完全に治癒したとされる。

鈴木繁朝(左金吾)の三男・鈴木繁定(丹後守、次郎三郎)は北条氏政から不審船の取り押さえ、他国船の改めなど駿河湾沿岸警備について頻々と司令を受けていたことが江梨鈴木家文書に残っており[8]川越城宇佐曲輪に屋敷があったとされる。『小田原衆所領役帳』に「鈴木次郎三郎(繁定)」が江梨に100貫文の所領役高を有したとある[4]

天正18年(1590年)、豊臣秀吉が後北条氏を攻めた小田原征伐で後北条氏に従って戦ったが、繁朝の次男・繁精(半左衛門尉)が韮山城で戦死、繁朝の長男繁光の子・繁脩(大学頭)も小田原城で戦死するなどして勢力を失った[9]

江梨鈴木氏の嫡流は江戸時代初期の鈴木繁義の代で絶えたとされ、沼津市西浦江梨の鈴木屋敷(鈴木氏館)には石垣が残っていた[4]

後裔・支流

繁朝の長男・繁光の次男で、繁脩(大学頭)の弟である鈴木繁氏(左七郎)は、小田原征伐の際に家臣20余名と陸奥国葛巻村高野城(現・岩手県葛巻町小屋瀬)に逃れて小屋瀬鈴木家の祖となり[9][10]、その子孫からは盛岡藩の儒医を務めた鈴木貢父が出た[10]

伊豆国賀茂郡稲取村の鈴木氏は江梨鈴木氏の一族とされ、正平17年(1362年)に稲取に移った鈴木兵庫助の次男・繁時(孫七郎)が後北条氏の水軍として仕え、その後は繁則ー元繁ー方繁と続いたという。また、武蔵国比企郡奈良郷の鈴木氏も同じく江梨鈴木氏の一族とされ、鈴木重允(重光)の子・重安(左京)が北条氏綱氏康に仕えたという[4]

駿河国富士郡の鈴木家も伊豆国の鈴木重光を祖とする。重光は伊豆国下田に住んだが、その弟の重友の四代重晴が今川氏に仕えて富士郡に移ったという[11]

江戸幕府旗本で鉄砲玉薬同心の鈴木家は、鈴木繁伴の子孫・重経(但馬守)を家祖と伝え、重経は北条氏康に仕えたという。次代の重元は徳川家康に召し出されて30俵2人扶持の微禄ながら武蔵国豊島郡大久保村に千坪の領地を拝領し、その子孫には最後の佐渡奉行を務めた鈴木重嶺が出た[12]

系譜

直系系図。『古代氏族系譜集成 中巻』所収穂積臣系図[13]、『静岡県姓氏家系大辞典』所収系図[4]、『沼津史談 第36号』所収系図[9]を参考とした。

太字は当主、実線は実子、点線は養子。
鈴木重実
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
[江梨鈴木氏]
繁伴1
藤白鈴木氏
重恒
 
 
 
重行2
 
 
 
重家3
 
 
 
(三代略)
 
 
 
繁允7
 
 
 
(一代略)
 
 
 
繁郷9
 
 
 
繁用10
 
 
 
繁宗11
 
 
 
繁朝12
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
繁光 繁定13
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
繁脩 小屋瀬鈴木家
繁氏
繁顕14
 
 
 
繁輔15
 
 
 
[断絶]
繁義16

脚注

  1. ^ 『古代氏族系譜集成中巻』宝賀寿男、1986年、1210-1215頁。 
  2. ^ a b c 翠園文庫「鈴木家代々法号」”. 昭和女子大学図書館. 2025年8月7日閲覧。
  3. ^ a b c d e 翠園文庫「巡礼問答」”. 昭和女子大学図書館. 2025年8月7日閲覧。
  4. ^ a b c d e f 静岡県姓氏家系大辞典編纂委員会『静岡県姓氏家系大辞典』角川書店、1995年、558-559頁。 
  5. ^ a b 江梨鈴木家文書「大道寺盛昌書状」”. 神奈川県立歴史博物館. 2025年8月7日閲覧。
  6. ^ 辻真澄『沼津史談第5号「豆州江梨の鈴木氏について」』沼津史談会、1967年3月。 
  7. ^ 辻真澄『沼津史談第5号「豆州江梨の鈴木氏について」』沼津史談会、1967年3月。 
  8. ^ 江梨鈴木家文書”. 神奈川県立歴史博物館. 2025年8月7日閲覧。
  9. ^ a b c 関為彌『沼津史談 第36号 –ルーツ探訪(そのニ)江梨鈴木繁朝の嫡子 大学繁脩の父は繁光か』沼津史談会、1986年。 
  10. ^ a b 『葛巻町誌 一巻』葛巻町誌編纂委員会、1987年、282頁。 
  11. ^ 静岡県姓氏家系大辞典編纂委員会『静岡県姓氏家系大辞典』角川書店、1995年、560頁。 
  12. ^ 翠園文庫「先祖書」”. 昭和女子大学図書館. 2025年8月7日閲覧。
  13. ^ 『古代氏族系譜集成中巻』宝賀寿男、1986年、1210-1215頁。 

参考文献

  • 静岡県姓氏家系大辞典編纂委員会『静岡県姓氏家系大辞典』角川書店,1995年,558-559頁。
  • 葛巻町誌編纂委員会『葛巻町誌〈一巻〉』葛巻町,1987年,282頁。

関連項目




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