鈴木繁朝とは? わかりやすく解説

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鈴木繁朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/30 02:38 UTC 版)

 
鈴木繁朝
時代 戦国時代
生誕 不詳
死没 永禄5年(1562年
別名 兵庫助金吾
墓所 静岡県沼津市西浦江梨、航浦院
官位 兵庫助
幕府 室町幕府
主君 北条氏康大道寺氏
氏族 江梨鈴木氏
父母 父:鈴木繁宗
兄弟 繁朝
繁光、繁精、繁定、重経、女子(土屋佐渡守室)、女子(伊豆山権現別当室)
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鈴木 繁朝(すずき しげとも、生年不詳‐永禄5年(1562年))は、戦国時代武将戦国大名後北条氏の家臣。通称は兵庫助金吾

略歴

天文24年(1555年)の第二次川中島の戦いに後北条氏から派遣され、同盟相手の武田方として参戦し武田信玄から感状を賜っている。

参考文献

  • 静岡県姓氏家系大辞典編纂委員会∥編著『静岡県姓氏家系大辞典』1995年。
  • 沼津史談会『沼津史談 第36号 –ルーツ探訪(そのニ)江梨鈴木繁朝の嫡子 大学繁脩の父は繁光か 関為弥氏-』。

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