鈴木繁氏とは? わかりやすく解説

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鈴木繁氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/03 16:52 UTC 版)

 
鈴木繁氏
時代 戦国時代 - 江戸時代前期
生誕 天正4年(1576年)?
死没 正保2年(1645年)?
別名 鈴木重氏、城之介、左七郎
主君 後北条氏
氏族 江梨鈴木氏小屋瀬鈴木家
父母 父:鈴木繁光?
兄弟 繁脩、繁氏
不詳
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鈴木 繁氏(すずき しげうじ、生没年不詳)は、戦国時代から江戸時代前期の武将。戦国大名後北条氏家臣。通称は城之介、左七郎。

略歴

江梨鈴木氏の一族で、江梨城主・鈴木繁脩(大学頭)の弟。父は鈴木繁朝の子、繁光とされる。

天正18年(1590年)に豊臣秀吉が後北条氏を攻めた小田原征伐で、繁氏は後北条氏に従って敗走し、家臣団20余名を伴い陸奥国葛巻村高野城(現・岩手県葛巻町小屋瀬)に落ち延びた。このとき小屋瀬まで従った家臣には、土屋次郎義真、三好弥九郎定親、中村茂左衛門義宗、油井徳仙、千葉平右衛門友行、林勘兵衛貞景、回立金六頼雅、刻嶋彦助正信ら武士7名、郎党24名がいたという。

小屋瀬に下向すると家臣たちと屋敷を構えて土着し、小屋瀬鈴木家の祖となり、同家は江戸時代にこの地の地頭として続いた。

参考文献

  • 葛巻町誌編纂委員会『葛巻町誌〈一巻〉』1987年。
  • 葛巻町誌編纂委員会『葛巻町郷土史年表』2005年。
  • 沼津史談会『沼津史談 第36号 –ルーツ探訪(そのニ)江梨鈴木繁朝の嫡子 大学繁脩の父は繁光か 関為弥氏-』。

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