鈴木重邦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/29 17:27 UTC 版)
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時代 | 平安時代末期 |
生誕 | 嘉保2年(1095年) |
死没 | 天承元年(1131年) |
別名 | 宗円入道、重国 |
主君 | 源為義 |
氏族 | 藤白鈴木氏 |
父母 | 父・鈴木重元 母・越智親経の女 |
兄弟 | 重邦、重次 |
妻 | 藤原宗永の女 湯浅胤貞の女? |
子 | 重倫、季重、重善、重定 |
鈴木 重邦(すずき しげくに)は、平安時代末期の武将。通称は刑部左衛門尉。
紀伊国名草郡藤白に居住し、源為義に属して武功を得たと伝わる。また、鳥羽上皇御幸時に衛府官として行宮のお供をし奉仕した。天承元年(1131年)に37歳で没した。法名は宗円入道。弟の鈴木重次は右兵衛少尉に任官され、源為義に属して保元の乱に参加している。
系譜
宮内庁書陵部蔵『華族系譜61 亀井家』[1]、および『古代氏族系譜集成 中巻』穂積臣系図[2]による。
- 父:鈴木重元
- 母:越智親経の女
- 妻:藤原宗永(湯浅左近大夫)の女
- 男子:鈴木重倫
- 妻:湯浅胤貞の女?
- 生母不詳の子女
- 男子:鈴木季重 - 佐野鈴木氏の祖。
- 男子:鈴木重定 - 系図に「衣川没落終為宇都宮家客」。下野鈴木氏の祖。
脚注
- ^ “華族系譜61 亀井家 - 書陵部所蔵資料目録・画像公開システム”. 宮内庁書陵部. 2025年7月15日閲覧。
- ^ 『古代氏族系譜集成中巻』宝賀寿男、1986年、1213頁。
参考文献
- 穂積姓鈴木氏: 紀州德川二七〇年鈴木家系譜(鈴木淳介、1982)
- 寛政重修諸家譜
- 古代氏族系譜集成/中巻(宝賀寿男)
関連項目
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