韮山城とは? わかりやすく解説

韮山城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/29 10:02 UTC 版)

韮山城(にらやまじょう)は、伊豆国田方郡韮山(静岡県伊豆の国市韮山)にあった室町時代後期から戦国時代にかけての日本の城平山城)。


  1. ^ 池谷 2009 pp.178
  2. ^ 黒田基樹『小田原合戦と北条氏』吉川弘文館〈敗者の日本史 10〉、2013年1月、155-178頁。ISBN 978-4-642-06456-9 
  3. ^ “【日本の名城】韮山城 没するまで居城としていた北条早雲”. ZAKZAK (産経新聞社). (2014年5月10日). http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20140510/dms1405101100001-n1.htm 2014年5月10日閲覧。 
  4. ^ 発掘調査に関する出典 : 『韮山城跡』静岡県教育委員会 1992年 より
  5. ^ 池谷 2009 pp.180


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韮山城

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小田原征伐」の記事における「韮山城」の解説

韮山城 韮山城の位置 天正18年1590年3月29日から6月24日まで続いた。 韮山城攻撃軍の編成 合計44,100右軍 計8,400人(蒲生氏郷 4,000人、稲葉貞通 1,200人) 中軍 計9,700人(筒井定次 1,500人、生駒親正 2,200人、蜂須賀家政 2,500人、福島正則 1,800人、戸田勝隆 1,700人) 左軍 計9,000人(細川忠興 2,700人、森忠政 2,100人、中川秀政 2,000人、山崎片家岡本良勝等 2,200人) 旗本 織田信雄 17,000人 徳川勢 (江川英長小笠原丹波など) 韮山城守備軍 約3,640人(城主北条氏規朝比奈泰栄江川英吉江川太郎左衛門)、富永政家ら) 韮山城では攻撃側10分の1城兵織田信雄勢を阻み包囲持久戦となった。守将の北条氏規は非開戦であったが、伊豆国の要かつ小田原北条氏所縁深い同城を守ることとなった秀吉から先ず開城交渉命じられ徳川家康は、小笠原丹波使者として交渉するが氏規はこれを拒絶した帰陣した小笠原はただ包囲するだけの大軍を不甲斐なく思い勝手に攻撃始めた。これを江川英吉撃退され小笠原討死にした。 秀吉は韮山城包囲のための最小限兵力だけを残すよう命じ織田信雄以下の主力小田原方面転進させた。籠城方は4ヶ月上の間凌いだが、秀吉徳川家康黒田孝高交渉役として開城迫り北条領内の城が次々落城している北条方の現状伝えて説得したため、元々非開戦であった守将の氏規は降伏開城応じ6月24日家康の家臣内藤信成が城を受け取った。 氏規は以降小田原開城のための説得工作尽力した。 城の江川曲輪守備した在地領主江川太郎左衛門こと江川英吉であるが、英吉の嫡男江川英長開戦直前出奔し徳川方として参戦していた。英長は以前から北条氏江川家)の使者として徳川送られることがあり、英長が北条家中で揉め事起こした際は、北条氏規公認徳川家避難していたこともある。開城交渉はこの親子もその一端担った。 氏規は他の兄弟比較した場合これまで総大将的な地位担ったことはあるが、主に外交交渉面での活躍目立ち、その武を評価される機会はあまり無かった。しかし氏規は常々、1千や2千の兵を直接采配できる将になりたい希望していたが、非開戦派としては望んでいなかったはずの籠城戦大将としてこれが実現してしまった。ここで氏規は籠城戦善く指揮したため秀吉は氏規を再評価し織田信雄では城を落とすことはできない判断して織田勢を小田原城包囲移動させた、という話が伝わる。

※この「韮山城」の解説は、「小田原征伐」の解説の一部です。
「韮山城」を含む「小田原征伐」の記事については、「小田原征伐」の概要を参照ください。

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