内藤信成
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内藤 信成(ないとう のぶなり)は、室町時代後期(戦国時代)から江戸時代初期の日本の武将、譜代大名。松平広忠の庶子で徳川家康の異母弟とされ、家康の近臣として仕える。信成系内藤家の始祖で、越後国村上藩の藩祖。藤基神社で祀られる。
注釈
- ^ 一例として、国立公文書館内閣文庫刊行本『譜牒余録』中巻414頁所載「内藤家伝」。清長の姉婿・島田久右衛門の次男を養子として迎えたのが信成としている。
出典
- ^ 誕生は『朝野旧聞裒藁』説。忌日は『寛政譜』による。
- ^ a b 『村上郷土史』村上本町教育会、1931年。
- ^ 『新編 藩翰譜』 2巻、新人物往来社、1977年、110頁。
- ^ 『寛政譜』新訂13巻185頁按文。また家督は実子の政長が継いでいる。
- ^ 明治以降に成立した「越後村上 内藤家譜」(東大史料編纂所所蔵)では永禄5年(1562年)と記しているが、享保4年(1719年)の記事を下限とする国立公文書館所蔵「内藤家譜」は永禄8年(1565年)とし、また「寛政譜」では同8年の三河上野城攻めの後のこととしている。
- ^ 『内藤家伝』。
- ^ 『マンガで読む戦国の徳川武将列伝』戎光祥出版、2016年8月22日。
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