あしかが‐うじみつ〔‐うぢみつ〕【足利氏満】
足利氏満
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/06 16:58 UTC 版)
足利 氏満(あしかが うじみつ)は、南北朝時代から室町時代にかけての武将。第2代鎌倉公方(在職:正平22年/貞治6年5月29日(1367年6月26日) - 応永5年11月4日(1398年12月12日))。父は足利基氏[3]、母は畠山家国の娘。
- ^ 『足利氏満』 - コトバンク
- ^ 髟と玉の字は、髟の字の下に玉の字が入って一字となる。
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 29頁。
- ^ 『朝日日本歴史人物事典』「足利氏満」の項(執筆:江田郁夫、参照:コトバンク)『世界大百科事典 第2版』(参照:コトバンク)
- ^ 田辺久子『上杉憲実』(吉川弘文館 ISBN 4-642-05215-1)25頁
- ^ 鎌倉公方の後身である古河公方も含めると足利成氏の42年が最長となる。
- ^ 従三位昇叙のことは『喜連川判鑑』『古河御所之伝』に見えるのみで、『公卿補任』『尊卑分脈』『足利系図』などには所見がない。
- ^ a b c d e f g h 江田郁夫『室町幕府東国支配の研究』(高志書院、2008年)。
- ^ 小山満泰については従来、氏満の子・足利満兼の偏諱を受けたとする説明がされてきたが、江田郁夫が満兼の偏諱であれば「兼」の字を受けている筈だと指摘し、小山泰朝と満泰は系譜にある親子関係ではなく、偏諱を受けて改名した同一人物とする説を呈示している。
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