小山泰朝
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小山 泰朝(おやま やすとも)は、室町時代前期の武士。小山氏12代当主。下野守[1]。
- ^ a b 結城市史編さん委員会 1977, p. 666.
- ^ 佐藤博信「室町・戦国期における小山氏の動向-代替わりの検討を中心として-」『古河公方足利氏の研究』校倉書房、1989年 ISBN 978-4-7517-1980-0 (再録:松本一夫 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第六巻下野小山氏』(戒光祥出版、2012年)ISBN 978-4-86403-057-1) )など
- ^ 江田説によれば、当時の関東地方で「満」の偏諱を与えていたのは足利氏満であり、満泰への偏諱授与は氏満が没する応永5年(1398年)以前の事になる。満泰の生没年は不詳であるものの、結城氏の系譜に記された他の結城一族(泰朝の兄で満泰には伯父にあたる満広ら)との間に想定される世代差・年齢差では応永5年(1398年)に元服して偏諱を受ける年齢に達していたと想定するのは無理がある。また、満泰の「満」を足利氏満の子である足利満兼の偏諱とする説も、満兼が実際に与えていた偏諱が「兼」である(例:千葉兼胤)ことから成立しがたいとして、泰朝と満泰を親子とするよりも同一人物による改名と見るべきであるとしている。
- ^ 江田郁夫「小山若犬丸の乱について」『室町幕府東国支配の研究』高志書店、2008年 ISBN 978-4-86215-050-9(初出:2006年)
- ^ 荒川善夫 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第八巻下総結城氏』(戒光祥出版、2012年)ISBN 978-4-86403-069-4 の巻末系譜では、江田説に基づいて結城基光の子として小山満泰(初名:泰朝)を置き、結城氏朝と小山持政をその息子としている。
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