上杉朝房
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/01 05:13 UTC 版)
上杉 朝房(うえすぎ ともふさ)は、南北朝時代の武将・守護大名。室町幕府関東管領、上総国・信濃国守護。犬懸上杉家2代当主。
注釈
- ^ 山田邦明によれば、この時朝房4歳・朝宗2歳であったという。
- ^ 阪田雄一によれば、朝房の「弾正少弼」の官位は元は朝定が任じられたもので、朝房が朝定の後継者立場にあったとする。
- ^ 山田邦明によれば、武蔵平一揆鎮圧後に当時鎌倉にいた義堂周信に多くの死者が出た事に悩んでいる事を告白して、しばしば仏教についての教えを乞うている(『空華日用工夫略集』応安元年閏6月2日条・同2年5月9日条)ことから、政治に不向きである事を自覚して自ら隠遁を志したとみる。
- ^ 小国浩寿は上杉憲春が1377年に関東管領に就任した説を否定して、同年段階では朝房の管領辞任は認められていなかったために、上杉能憲の病気にも関わらず憲春は当時定員が2名であった関東管領には就任できずその職務を代行するに止まり、翌年の能憲の死によって正式な関東管領に就任したとする説を唱えている。
出典
- ^ 黒田基樹 著「氏満期の上杉氏」、黒田基樹 編『足利氏満とその時代』戎光祥出版〈関東足利氏の歴史第2巻〉、2014年、241頁。ISBN 978-4-86403-106-6。
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