上杉憲基とは? わかりやすく解説

上杉憲基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/17 09:15 UTC 版)

 
上杉憲基
時代 室町時代中期
生誕 元中9年/明徳3年(1392年
死没 応永25年1月4日1418年2月9日
戒名 宗徳院心元海印
官位 安房守右京亮
幕府 室町幕府 関東管領 上野伊豆守護
主君 足利持氏
氏族 山内上杉家
父母 父:上杉憲定
兄弟 憲基佐竹義人
養子:憲春[1]上杉禅秀子)、
憲実上杉房方子)
花押
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上杉 憲基(うえすぎ のりもと)は、室町時代中期の武士守護大名関東管領上野国伊豆国守護山内上杉家7代当主。

生涯

元中9年/明徳3年(1392年)、上杉憲定の子として誕生。応永19年(1412年)、父の死により家督を継ぐ。

応永22年(1415年)、上杉氏憲(禅秀)が4代鎌倉公方足利持氏と対立して関東管領を罷免された後、持氏から関東管領に任じられた。しかし翌23年(1416年)、これに不満を抱いた禅秀の反乱(上杉禅秀の乱)が起こり、憲基はこの戦いに敗れて伯父で越後国守護・上杉房方を頼って落ち延びた。その後、4代将軍足利義持や房方、今川範政らの力を借りて再起を果たし、応永24年(1417年)に禅秀らを滅ぼしている。

しかし戦後、乱の一因を成した責任をとって、同年4月に関東管領職を辞任して剃髪し、伊豆三島に隠棲したが、同年6月に関東管領職に再任されている。翌年1月4日、27歳で死去した。関東管領は房方の子で従弟の憲実が継いだ。

脚注

  1. ^ 寛政重修諸家譜』によると猶子。




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