上杉憲賢とは? わかりやすく解説

上杉憲賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/01 00:28 UTC 版)

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上杉憲賢
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 永禄3年2月28日1560年4月6日
別名 次郎、義竹軒、雲岑、静賢
主君 山内上杉家
氏族 深谷上杉家
父母 父:上杉憲清
高泰姫
憲盛、氏盛?
養子:氏賢(後北条氏。憲賢外孫)
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上杉 憲賢(うえすぎ のりかた)は、戦国時代武将深谷上杉家6代当主。

略歴

6代当主・上杉憲清の子として誕生した。現在の熊谷市久下にあった東竹院を再興した。

山内上杉家に属し、扇谷上杉家の滅亡後、武蔵国における上杉氏の勢力回復に努め、天文10年(1541年)に上野国新田金山城横瀬泰繁を攻めた記録が残る。天文15年(1546年)、山内上杉家が河越城の戦いで敗れると北条氏康に誼を通じた。

家督は子・憲盛が継いだ。





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