上杉憲藤討死後に遺児2人を保護
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 10:25 UTC 版)
「石川覚道」の記事における「上杉憲藤討死後に遺児2人を保護」の解説
石川覚道は上杉系図の上杉朝房の項に名前が出て来る。上杉憲藤が討死(1336又は1338年)した後に、石川覚道が残された幼い遺児二人(幸松(上杉朝房)四歳、幸若(上杉朝宗)二歳)と家臣(千坂、和久)の子二人を抱き抱えて保護し、ともに鎌倉で成長したという内容。その後の石川覚道自身の動向は不詳だが、保護した遺児二人はともに関東管領に就任し、犬懸上杉家として権勢を誇ることになり、石川氏は犬懸上杉家と共に活動する。
※この「上杉憲藤討死後に遺児2人を保護」の解説は、「石川覚道」の解説の一部です。
「上杉憲藤討死後に遺児2人を保護」を含む「石川覚道」の記事については、「石川覚道」の概要を参照ください。
- 上杉憲藤討死後に遺児2人を保護のページへのリンク