上杉憲房正室
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/22 23:00 UTC 版)
上杉朝昌の娘で、上杉憲房に嫁ぐ。大永5年(1525年)に憲房が没すると実家に戻る。享禄3年(1530年)、当時の当主である甥の朝興の意思により武田信虎の側室となった。憲房後室と信虎の婚姻、さらに3年後の朝興娘と信虎嫡子太郎との婚姻により、扇谷上杉氏と武田氏は姻戚関係となり同盟はより強固なものとなった。
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