上杉憲実の使いを務めた小田出羽守
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「風間小太郎」の記事における「上杉憲実の使いを務めた小田出羽守」の解説
市村高男は、この那珂湊の風間出羽守は、常陸小田氏の一族の中でも、小田伊賀守(在名は「高野」)の家系から分れた小田出羽守の家系の人物、と推測している。 小田出羽守は、東京大学白川文書に、応永31年(1424年)に、上杉憲実から指示を受けて、笠間長門守とともに鎌倉府(足利持氏)の両使として、白河結城氏朝に対し、陸奥国依上保(茨城県大子町、佐竹依上三郎跡)打渡しの遵行命令を伝えた人物としてその名がみえ、小田氏の宗家には「出羽守」の受領を名乗る人物がいないことから、伊賀守系で、鎌倉府の奉公衆となった人物と考えられている。 陸奥国依上保〔依上三郎/跡〕事、早守去四月十一日御下文之旨、笠間長門守相共莅彼所、可被沙汰付下地於白河弾正少弼状、依仰犱達如件、 応永卅一年六月十九日 〈(上杉憲実)〉藤原(花押) 小田出羽守殿〈(懸紙、あるいは異なるか)〉「白河右兵衛入道殿□□」 — 上杉憲実施行状(東京大学白川文書)
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