犬懸上杉家の千坂氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 23:17 UTC 版)
千坂信高の父は幼い時から犬懸上杉家と一緒に育ったため、犬懸上杉家当主の上杉朝房・上杉朝宗・上杉氏憲とは常に行動をともにする家系。 上杉系図に上杉朝房・上杉朝宗と幼少のころから鎌倉で一緒に成長したと記載されている。 【上杉家系図・上杉朝房の項】「父打討時、家人石川覚道抱之、于時幸松(上杉朝房)四歳、幸若(上杉朝宗)二歳、家人千坂子二歳、和久子四歳相従之、共於鎌倉成人」 【父上杉憲藤の討死(1338年、足利尊氏方として北畠顕家と摂津渡辺の戦いで討死)の時に、家人石川覚道が、憲藤の息子2人幸松(上杉朝房)四歳、幸若(上杉朝宗)二歳と共に家人千坂の子二歳と和久の子四歳を一緒に保護し、ともに鎌倉で成人したという記載。】 応永2年(1395年)、上杉朝宗(この時、おおよそ60歳)が関東管領・武蔵 守護に就任した時に、武蔵 守護代となった千坂越前守が上杉朝宗と同年齢の「千坂子」(千坂信高の父)と考えられる。、
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