大崎直持
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 23:25 UTC 版)
大崎 直持(おおさき ただもち[6])は、南北朝時代の武将・奥州管領。大崎氏初代当主。
- ^ a b c 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』講談社
- ^ a b c 『系図纂要』巻64清和源氏(13)大崎氏
- ^ a b 「白川文書」「連絡按文」『大日本史料』6編27冊933頁、4月5日条
- ^ 『系図纂要』によれば持義と同一人物であり『続群書類従』によれば、塩松伊予守持義にあたる。
- ^ 持頼式部大輔西室殿 続群書類従 5上(系図部)
- ^ a b 名は「なおもち」とも読む。「ただ」の読みから足利直義から偏諱を受けたものと考えられるが、観応3年(1352年)以前の観応の擾乱などにおける詳しい動向は解っていない。本文中にある通り、のちに足利義詮に従属していることから、読みを改めた可能性も考えられる。
- ^ 『大日本史料』第6編16冊394頁、「古證文」
- ^ 『大日本史料』第6編20冊348頁。「塩釜神社文書」
- ^ 『大日本史料』6編20冊896頁。「留守文書」氏家彦十郎を通して陸奥宮城郡内余目郷等の旧宅を留守松法師代道即に交付させた。
- ^ 『大日本史料』6編23冊651頁。「留守文書」
- ^ 『大日本史料』6編23冊734頁。「岩城文書」
- ^ 『大日本史料』6編24冊499頁。「相馬文書」
- ^ 『大日本史料』6編25冊142頁。「相馬文書」
- ^ 『大日本史料』 6編25冊222頁。「飯野八幡社古文書」
- ^ 『大日本史料』6編26冊93頁。「相馬岡田文書」
- ^ 『大日本史料』6編27冊52頁。「飯野八幡社古文書」
- ^ 『大日本史料』6編27冊643頁。「白河証古文書」
- ^ 現・千葉県香取市大崎。
- ^ 吉良満家及び大崎直持。「白河文書」脚注、『大日本史料』6編27冊933頁、4月5日条
- ^ 『大日本史料』6編43冊282頁。「秋田藩採集文書」
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