持明院とは? わかりやすく解説

じみょう‐いん〔ヂミヤウヰン〕【持明院】

読み方:じみょういん

[一]京都市上京区にあった藤原道長曽孫基頼が邸内建てた持仏堂の名。

[二]姓氏の一。藤原北家道長流。藤原基頼の子通基が[一]家名としたのに始まる。


持明院

読み方:ジミョウイン(jimyouin)

別名 福沢の寺

宗派 真言宗豊山派

所在 山形県東置賜郡高畠町

本尊 弘法大師


持明院

読み方:ジミョウイン(jimyouin)

宗派 真言宗豊山派

所在 茨城県猿島郡三和町

本尊 不動明王


持明院

読み方:ジミョウイン(jimyouin)

宗派 真言宗智山派

所在 栃木県塩谷郡塩谷町

本尊 不動明王


持明院

読み方:ジミョウイン(jimyouin)

宗派 真言宗御室派

所在 神奈川県横浜市金沢区

本尊 大日如来


持明院

読み方:ジミョウイン(jimyouin)

別名 でら

宗派 高野山真言宗

所在 石川県金沢市

本尊 不動明王


持明院

読み方:ジミョウイン(jimyouin)

別名 縁結縁切り寺

宗派 真言宗御室派

所在 大阪府大阪市天王寺区

本尊 阿弥陀如来


持明院

読み方:ジミョウイン(jimyouin)

別名 下の寺

宗派 高野山真言宗

所在 兵庫県加東郡東条町

本尊 阿弥陀如来


持明院

読み方:ジミョウイン(jimyouin)

宗派 高野山真言宗

所在 和歌山県伊都郡高野町

本尊 延命地蔵菩薩不動明王

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

持明院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/18 05:21 UTC 版)

持明院殿推定復元図(川上貢〈2001〉をもとに作成)
持明院の入り口

持明院(じみょういん)は、平安時代末期から江戸時代にかけて平安京北郊に存在した邸宅およびその邸内にあった寺院。現在の京都市上京区安楽小路町の光照院の付近にあった。鎌倉時代以降には仙洞御所里内裏となり、持明院統の由来となる。邸宅を持明院殿、また寺院を安楽光院(あんらくこういん)・安楽行院(あんらくぎょういん)とも称す。

概要

はじめ鎮守府将軍を務めた藤原基頼の邸宅であった。12世紀初頭、基頼が邸内に持仏堂を建立し持明院と名づけた。基頼の子藤原通基は持明院を拡充して、寺号を安楽光院(安楽行院)と改め、持明院家の号とした。

鎌倉時代持明院基家の娘陳子(後の北白川院)は守貞親王の妃になり、茂仁親王(後堀河天皇)を生んだ。承久の乱後、後堀河天皇が即位すると、父親の守貞親王には太上天皇の尊号がおくられ、後高倉院を院号としてここで院政を行い、持明院宮と呼ばれた。続いて後堀河天皇も退位後にもここを御所として院政を行った。守貞親王系の断絶後も後嵯峨天皇後深草天皇の退位後の御所となり、後深草天皇の系統の伏見上皇後伏見上皇花園上皇光厳上皇光明上皇はいずれも持明院殿を御所とした。また、一時期崇光天皇の内裏ともなった。この系統を持明院統と称す。ただし、守貞親王系の断絶後は後堀河天皇の皇女であった室町院(暉子内親王)が持明院を御所とし、その没後に伏見上皇が継承した事が持明院統の持明院所有の端緒であり、後深草天皇は外祖父である西園寺実氏が彼のために献上した冷泉富小路殿で生涯の大半を過ごしたとする指摘もある[1]

対立関係にあった亀山天皇の系統は、亀山天皇が退位後に大覚寺を御所としたことから大覚寺統と呼んだとされるが、こちらも後宇多上皇の居住を大覚寺統の端緒とする説が有力である。

後光厳天皇1353年文和2年/正平8年)2月の火事により焼失すると、安楽光院一堂を残して邸宅部分は以後荒廃した。

安楽光院は、広義門院の命によって再興され、室町時代にも持明院統関連の仏事等が行なわれ、江戸時代には泉涌寺塔頭とされた。応仁の乱後に後伏見天皇の皇女進子内親王ゆかりの光照院が移転したとも伝えられ、移転後の一時期は光照院も「安楽光院」を名乗っている。

持明院内部の駐車場

また、持明院に残った安楽光院を現京都市伏見区深草に移して深草法華堂としたとする伝承もある。深草法華堂には後深草天皇以下12名の天皇の陵墓が置かれ、17世紀後半に安楽行院として再興され、廃仏毀釈まで残存した。

現在は一部駐車場として使われている。

アクセス

今出川駅(〒602-0032 京都府京都市上京区岡松町)から室町通上立売通経由 徒歩8分 約600m

脚注

  1. ^ 近藤成一「内裏と院御所」(初出:五味文彦 編『都市の中世』(吉川弘文館、1992年)/所収:近藤『鎌倉時代政治構造の研究』(校倉書房、2016年) ISBN 978-4-7517-4650-9

参考文献

  • 川上貢『日本中世住宅の研究 [新訂]』中央公論美術出版、2001年。
  • 「安楽行院跡」「持明院仙洞跡」『京都市の地名』(日本歴史地名大系)平凡社、1979年
  • 多賀宗隼「安楽行院」『国史大辞典』吉川弘文館、1979年
  • 後藤四郎「持明院殿」『国史大辞典』吉川弘文館、1986年

座標: 北緯35度1分57秒 東経135度45分19秒 / 北緯35.03250度 東経135.75528度 / 35.03250; 135.75528




持明院と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「持明院」の関連用語

持明院のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



持明院のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの持明院 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS