持明院保冬とは? わかりやすく解説

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持明院保冬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/07 09:40 UTC 版)

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持明院保冬
時代 南北朝時代
生誕 元徳元年(1329年
死没 明徳3年/元中9年10月16日1392年11月1日
官位 正三位権中納言
主君 後円融天皇後小松天皇
氏族 松殿家持明院家
父母 父:持明院保有
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持明院 保冬(じみょういん やすふゆ)は、南北朝時代公卿従二位権中納言・持明院保有の子。官位正三位・権中納言。

経歴

応安7年(1374年)、従三位右衛門督となり公卿に列せられる。直後参議となるも、翌年には辞し、出雲権守・左兵衛督を経て永徳2年(1382年)に参議に還任、至徳2年(1385年)まで在職したが、この間永徳3年(1383年)に正三位に昇り、また丹波権守を兼ねている。

嘉慶元年(1387年)には権中納言となるも、康応元年(1389年)には辞職した。明徳の和約による南北朝合一直前の明徳3年10月16日1392年11月1日)に薨去。享年64。

持明院家は元々家行系が嫡流だったが、保家系では最後の公卿となった[1]

脚注

  1. ^ もっとも、祖父の保藤松殿良嗣の子で、60歳以上歳が離れていた基保の養子となった。その他の、公卿となっていた良嗣の子孫も父・保有の従兄弟だった松殿忠冬が既に貞和5年(1348年)に亡くなっていたので、良嗣男系子孫最後の公卿だったとも言える。

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