持明院俊保とは? わかりやすく解説

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持明院俊保

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/28 05:38 UTC 版)

 
持明院 俊保
時代 鎌倉時代中期
生誕 不詳
死没 嘉禄2年(1226年)以降
別名 長尾少将
官位 正五位下左近衛少将
主君 後堀河天皇
氏族 持明院家
父母 父:持明院保家、母:不詳
兄弟 基保家時俊保、家教
相保
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持明院 俊保(じみょういん としやす)は、鎌倉時代中期の公家権中納言持明院保家の子。官位正五位下左近衛少将長尾少将と号した[1]

経歴

嘉禄元年(1225年)頃に左近衛少将に任ぜられるも[2]、翌嘉禄2年(1226年)7月に出家高野山に入った[1][3]。高野山入山後の消息は不明。

官歴

系譜

  • 父:持明院保家[4]
  • 母:不詳
  • 妻:親尊法印の娘(?-1226)[5]
  • 生母不明の子女
    • 男子[4][6]:持明院相保(1225-1290以降)

脚注

  1. ^ a b c 明月記』嘉禄2年7月13日条
  2. ^ a b 明月記』嘉禄元年2月8日条
  3. ^ 明月記』嘉禄2年7月15日条
  4. ^ a b 尊卑分脈
  5. ^ 明月記』嘉禄2年7月19日条
  6. ^ 公卿補任



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