あしかが‐まさとも【足利政知】
足利政知
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足利 政知(あしかが まさとも)は、室町時代後期の武将。足利将軍家の一族で、初代堀越公方である。室町幕府の第6代将軍・足利義教の四男。第7代将軍・足利義勝の異母弟で、第8代将軍・足利義政と足利義視の異母兄にあたる。第11代将軍・足利義澄の父であり、以後の将軍は政知の家系から続いた。
注釈
- ^ 黒田基樹は他に政知の正室が確認できないことから、円満院が正室ではないかとしている。『戦国大名・伊勢宗瑞』2019年 角川選書
- ^ 兄(政知)が弟(義政)から偏諱を受けた形になっているが、これは法体であった清久(政知)が還俗した際に初めて元服したからであり(それまで清久は俗諱を持ち得なかったために、元服の際に将軍の偏諱を受けた)、矛盾はない。
- ^ 家永遵嗣は『今川記』の異本である『富麓記』の記述により、政知が晩年に古河公方に取って代わることを意図して、足利氏ゆかりの「氏」を含んだ「氏満」と改名し、折しも元服が遅れていた今川龍王丸を元服させて偏諱を与え、「(今川)氏親」と名乗らせた、という説を唱えている[32]が、「氏満」の署名のある文書や『富麓記』以外の記録による裏付けは存在しておらず、政知の改名の事実は認められないとする黒田基樹の反論[33]がある。
出典
- ^ a b c 家永遵嗣「足利義視と文正元年の政変」『学習院大学文学部研究年報』第61号、2014年、6頁。
- ^ a b c d e 黒田 2021, p. 46.
- ^ 石田 2008, pp. 144–145.
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 31頁。
- ^ a b c d 「足利政知」『朝日日本歴史人物事典』
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- ^ 家永遵嗣「今川氏親の名乗りと足利政知」『戦国史研究』59号、2010年。/所収:黒田 2019, pp. 83–88, 91
- ^ 黒田 2019, pp. 18–20, 「今川氏親の新研究」.
- ^ 黒田 2019, pp. 72–73.
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- ^ 黒田 2019, p. 75.
- ^ 黒田 2019, p. 74.
- ^ 静岡県 1997, pp. 479–481.
- ^ 石田 2008, pp. 283–287.
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