長禄合戦とは? わかりやすく解説

長禄合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/09 01:15 UTC 版)

長禄合戦(ちょうろくかっせん)とは、長禄2年(1458年)7月頃から長禄3年(1459年8月11日までの間、越前を舞台として勃発した越前守護斯波義敏と越前守護代甲斐常治の間に勃発した合戦群の総称。


  1. ^ 福井県、P459 - P464、P474 - P477、P597 - P600、松原、P38 - P41、石田、P98 - P102、P147 - P151。
  2. ^ 福井県、P600 - P604、松原、P41 - P46、石田、P151 - P157。


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長禄合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 10:15 UTC 版)

斯波義敏」の記事における「長禄合戦」の解説

甲斐常治将軍足利義政不知行地還付政策支持しており、越前など分国経営にあたって幕府武衛家重朝倉孝景などの支持得ていた。義敏は常治の専横幕府訴えたが、長禄元年1457年)に甲斐氏朝倉氏織田氏重臣戦って敗れ東山東光寺篭居する羽目となった長禄2年1458年2月将軍管領細川勝元仲裁によって両者ひとまず和解し、義敏は自邸戻った。ところが越前では義敏派の国人堀江利真甲斐派の朝倉孝景甲斐敏光(常治の息子)らが衝突7月頃に長禄合戦へと発展した緒戦堀江利真率いる義敏派が連戦連勝して戦局有利に展開したが、不知行地還付政策に基づく寺社荘園直接支配推進を利真が拒絶したため幕府態度硬化し朝倉らの支持に傾いた。この頃将軍義政異母兄である堀越公方足利政知関東経略進展見られないことから、その救援のため、9月に義敏および常治が関東への出兵命じられた。だが両者互いに警戒して動かず長禄3年1459年1月には越前の義敏派と甲斐派の衝突再燃した義政から再三にわたる関東出兵命令受けた義敏は、5月に兵を集めたものの関東には赴かず、甲斐方の金ヶ崎城敦賀攻めて逆に敗れた義政怒り買った義敏は、息子松王丸(義寛)に家督を譲らされ、周防大内教弘元へ追放された。8月には堀江利真越前侵攻した朝倉孝景討たれ甲斐派が合戦勝利した。もっとも甲斐常治自身その間京都病床臥せっていたのであり、勝利直後病死している。

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長禄合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/18 15:01 UTC 版)

甲斐常治」の記事における「長禄合戦」の解説

享徳元年1452年)、斯波義健がわずか18歳亡くなると、斯波氏正統絶えたため、甲斐氏織田氏朝倉氏斯波氏重臣は、斯波氏庶流の持種の子義敏を斯波氏当主として迎えるが、上記通り、常治と持種が犬猿の仲であったため、常治が義敏と対立するのにそう時間はかからなかった。 対立の原因は他にもあり、甲斐氏守護活用して大犯三箇条検断権刈田狼藉検断権使節遵行権守護請等で領国内で勢力拡大在地武士達との結びつき強めていく。対して甲斐氏によって土地から追われたり、荘園代官職奪われた他の斯波氏被官人達は義敏を頼り、義敏も彼らとの繋がり領国支配を展開、常治の排斥狙ったため、幕府仲介も意味を成さず対立深まっていった。幕府守護支配制限する不知行地還付政策を常治が支持したことも義敏派の不満に繋がった長禄2年1458年6月に常治が病気になると、義敏はこの機をとらえて挙兵し守護斯波義敏越前国人衆)と守護代甲斐常治側が激突、長禄合戦が勃発した。ただ、義敏本人幕府から関東出兵を命ぜられて近江小野滞在しており、常治も京都病床にあったため、越前での合戦守護側の堀江利真守護代側の朝倉孝景甲斐敏光による代理戦争様相呈していた。 当初守護側は堀江利真活躍により優勢であったが、長禄3年1459年)になると、8代将軍足利義政は常治に肩入れするようになり、義敏本人関東出兵命令背いて甲斐方の金ヶ崎城攻めて大敗すると、これに激怒して義敏から家督奪って周防追放し、義敏の息子松王丸がわずか3歳斯波氏当主となった幕府の常治寄り姿勢朝倉孝景活躍もあって、長禄3年8月11日、長禄合戦は守護代側の勝利となるが、常治本人はその知らせ聞かないまま翌12日夜、京都死亡した守護代職は敏光越前出兵中のために、孫の千喜久丸継承された。

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