伝堀越御所跡とは? わかりやすく解説

伝堀越御所跡


伝堀越御所跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/22 14:21 UTC 版)

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伝堀越御所跡
静岡県
伝堀越御所跡
別名 御所ノ内遺跡
城郭構造 城館
天守構造 なし
築城主 足利氏
築城年 1457年(長禄元年)頃
主な城主 足利政知
廃城年 1493年(明応2年)
遺構
指定文化財 国指定史跡
再建造物 なし
位置 北緯35度02分54.6秒 東経138度56分17.6秒 / 北緯35.048500度 東経138.938222度 / 35.048500; 138.938222座標: 北緯35度02分54.6秒 東経138度56分17.6秒 / 北緯35.048500度 東経138.938222度 / 35.048500; 138.938222
地図
伝堀越
御所跡
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伝堀越御所跡(でんほりごえごしょあと)は、静岡県伊豆の国市寺家にある中世城館伝承地。鎌倉公方足利政知御所と伝わり、国の史跡に指定されている[1]字名にはないが、地元ではこの付近を「堀越(ほりごえ)」と呼ぶ。

歴史

室町時代鎌倉公方として関東に下向した足利政知が、1454年享徳3年)に勃発した享徳の乱により鎌倉に入ることができず、ここに御所を構えたとされる。鎌倉を追われた足利成氏古河で公方(古河公方)を称したのに対し、こちらは堀越公方と呼ばれた。しかし、1493年(明応2年)に後北条氏伊勢盛時(北条早雲)に滅ぼされた[2]

発掘調査

県の遺跡地図での遺跡名は「御所ノ内遺跡」となっている[3]

御所跡の一部の土地は伊豆の国市の所有となっているが、周辺は私有地や住宅地である。過去に発掘調査が実施され[4]、御所に関連すると考えられるの跡が検出されているが[2]、建物跡などは不明である。ごく一部でしか調査が行われていないため、堀越御所の直接的な遺構は見つかっておらず、地元自治体では「堀越御所」と案内している。近くには北条氏邸・円成寺跡が所在し、室町時代には円成寺が近接していたことになる。

発掘調査後は埋め戻されて、2007年(平成19年)時点では更地に説明看板が立つのみの状態となっていたが、2008年(平成20年)3月に説明板が伊豆の国市によって新しく設置された。発掘調査時の遺構写真を示して、その状況を説明している。

脚注

参考文献

韮山町教育委員会 1985『韮山町文化財調査報告20:御所之内遺跡発掘調査報告書』韮山町教育委員会

関連項目




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