背景と地名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 22:42 UTC 版)
新居の地名の由来は、「明応7年8月の地震津波以前の湖口」の絵図によると、阿礼の崎(あれのみさき)に荒井の集落があり、舞坂は当時前沢と呼ばれていた。 浜名川の浜名橋に橋本があり、東海道が交差した港湾都市であった。鎌倉時代には東海道の要衝として宿が置かれ、応永9年(1402年)には足利義満により橋本、天龍、大井、富士河、木瀬河は、今川泰範を「奉行職」として管理されていた。 明応7年(1498年)8月25日に、明応地震が起こり、遠州灘沿岸は津波に襲われた。津波により浜名湖開口部が沈下し、今切口が決壊して、湖に海水が流入し、浜名湖は塩水湖となった。また、明応地震により橋本は壊滅し、住民は今切・新居地区(荒井)に移転した。 また、翌明応8年(1499年)6月10日の暴風雨・大洪水によって湖口は破壊の度合いを増した。『遠江国風土記伝』など、浜名湖周辺における津波を記した史料は、何れも津波の日付を「明応八年六月十日」としている。さらに『岳南史』など、永正7年(1510年)8月27日に遠江国を海嘯が襲い、今切はこの時に生じたとする史料も存在する。 そのため、浜名湖の今切口を通過するための舞坂ー新居間を結ぶ渡船の今切の渡しが置かれた。
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