背景と大飢饉とは? わかりやすく解説

背景と大飢饉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 02:32 UTC 版)

動乱時代」の記事における「背景と大飢饉」の解説

1598年フョードル1世没してリューリク朝断絶したため、後継者問題発生した。このとき、フョードル義兄にして側近であり、既に精神病んでいたフョードル代わり摂政として統治にあたっていたタタール系の「大貴族ボリス・ゴドゥノフが、当時身分制議会であるゼムスキー・ソボル全国会議)によって後継者選ばれた。リューリク朝の血をひかないゴドゥノフの短い在位期間1598年 - 1605年)には、病弱なフョードル治世よりも、さらに統治困難に陥ったこの頃南米ワイナプチナ火山大噴火し、その噴煙大気圏上層達することで世界的な異常気象引き起こしていた。ロシアでは1601年から1603年ロシア大飢饉英語版)として知られる極端な凶作となり、夏でも夜の気温氷点下達し作物全滅させた。飢餓広がり、やがて大飢饉となった政府金銭食糧モスクワ貧民配給したが、結局それは難民首都への流入招き経済的混乱加速させることになった寡頭制一角率いていたロマノフ家は、これ以上貴族に従うことは恥辱であると考えた陰謀横行し地方飢饉ペストによって荒廃していった。武装した無法者の大集団国中跋扈しあらゆる残虐行為が行われた。前線に立つドン・コサック軍は休むことなく動員され政府秩序維持不能露呈していた。 やがて、ゴドゥノフ擁立反対した有力な貴族たちの影響下で、ゴドゥノフ皇位簒奪者として敵視する不満の声が上がり始めると、先帝の弟で本来の皇位継承者であり、既に死んだはずのドミトリーが、実は生きていて身を潜めている、という噂が広まるようになった

※この「背景と大飢饉」の解説は、「動乱時代」の解説の一部です。
「背景と大飢饉」を含む「動乱時代」の記事については、「動乱時代」の概要を参照ください。

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