背景と大衆化したモチーフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 10:11 UTC 版)
「高砂 (能)」の記事における「背景と大衆化したモチーフ」の解説
現在の高砂市内にある高砂神社の社伝によれば、ひとつの根から雌雄の幹の立ち上がる「相生の松」が境内に生い出でたのは神社開創から間もない頃のことであったが、ある日ここに二神が現われ、「我神霊をこの木に宿し世に夫婦の道を示さん」と告げたところから、相生の霊松および尉(じょう)・姥(うば)の伝承が始まったとする。 ところで古今和歌集仮名序に さざれ石にたとへ、つくば山にかけて君をねがひ、よろこび身に過ぎ、たのしび心にあまり、ふじの煙によそへて人をこひ、松虫の音に友をしのび、たかさご・すみの江の松もあひおひのやうに覚え、をとこ山の昔を思ひいでて、をみなへしのひとときをくねるにも、歌をいひてぞなぐさめける。 の一節がある。松は古来、常緑であるところから「千年の常盤木」などとも呼ばれ、また雌雄別株であることは夫婦を連想させる。世阿弥はこうしたところから着想を得て、尉・姥を登場人物とし、歌道の永遠なることを願って『高砂』を書いたのだとされる。 千歳の松、長寿、遠く隔たっていても睦まじい夫婦といった『高砂』に含まれる要素、また「相生」が「相老い」にも通じることなどから、『高砂』はいつしか夫婦和合・偕老長寿の象徴とも受け取られるようになった。尉(じょう)・姥(うば)のモチーフは「高砂人形」と呼ばれる人形となり結納品のひとつとされたほか、一般におめでたい図柄として大衆化し、さまざまに使われている。「高砂や」に始まる謡は婚礼における祝言歌の定番となり、長い間歌い継がれてきた。 また、俗謡に「おまえ百までわしゃ九十九まで、共に白髪の生えるまで」と謡うものがあり、これも『高砂』の尉・姥に結びつけて考えられている。俗説として、「百」は「掃く」、すなわち姥の箒を意味し、「九十九まで」は尉の「熊手」を表すのだという。 高砂神社にある現在の「相生の松」。 高砂市・高砂郵便局前の郵便ポスト上に設置されている尉と姥の像。 19世紀の帛紗に描かれた尉と姥。 高砂の尉と姥は掛軸の定番モチーフでもある。
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