背景と学説史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 01:18 UTC 版)
社会生物学の登場背景も参照 1960年から70年代の進化生物学における重要な論争の一つは、自然選択が働く単位は何か?であった。自然選択の定義に照らせば、自然選択を受ける実体は常に利己的である。なぜなら、自己の成功率を低めるような存在は、それが個体、群れ、種、そのほかの何であれ自然選択によって取り除かれるからである。自然選択が働く単位は何か?は、利己的な存在は何か?と言い直すことができる。 1970年代までは「種の保存」論やナイーブな群選択説、すなわち生物の利他的行動は種のためであり、生物の性質は種や群などグループの繁栄のために最適化されているという考えが一般的であった。しかし群選択説は理論的にも実証的にも確認されたものではなく、無批判に肯定されていた。それに対する別の見解が「利己的遺伝子論」に代表される遺伝子中心視点である。 はじめて遺伝子の視点から生物進化を解釈できることを示したのは、20世紀前半の集団遺伝学の創設者ロナルド・フィッシャーとJ・B・S・ホールデンらであった。1950年代にはテオドシウス・ドブジャンスキーが「進化」を「遺伝子プール内の遺伝子頻度の変化」と定義した。1964年にウィリアム・ハミルトンが社会性昆虫の研究から血縁選択説を提唱したが、これは遺伝子中心視点主義を論理的に支持する重要な概念であった。ハミルトンの血縁淘汰説はそれまでのダーウィンの唱えた進化説の矛盾を解消するものであった。ダーウィンは進化を自然淘汰と言う考えを用いて上手く説明したが、その考えは淘汰は個体に対して働くと言うものだったため例外的に説明できない例が自然界に存在した。ミツバチが他の固体の子供を育てる理由などを説明できなかった。それに対し、ハミルトンの唱えた血縁淘汰説は自分の血縁者の利益は自分の利益にもなると言う考えでミツバチの子育てなどの一見利他的な行動を上手く説明することが出来た。 1966年にジョージ・ウィリアムスが『適応と自然選択』で群選択説の論理的な誤りを指摘し、初めて進化における遺伝子中心視点主義を明確に提唱した。1975年にはやはり社会性昆虫の研究者であったエドワード・オズボーン・ウィルソンが論争的な大著『社会生物学』をあらわした。1976年のリチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』は、当時広く信じられていた(現在でも信じられている)種の保存論が誤りであることと、血縁選択説、ジョン・メイナード=スミスのESS(進化的に安定な戦略)理論、ロバート・トリヴァーズの親の投資と互恵的利他主義などの当時の最新の研究成果を、難解な数式を使わずに一般向けに説明したものである。『利己的な遺伝子』の遺伝子淘汰説以前は、ダーウィンの進化説のジレンマである利他的行動を説明するために血縁淘汰説が用いられていたが、血縁淘汰説は利他的行動を説明するために突然出てきたためになぜ血縁淘汰説が成立するのかの説明が不十分であった。しかし、ドーキンスの遺伝子淘汰説は「遺伝子は個体に優先する」という原理をとるだけで利他的行動を上手く説明することが出来た。1980年代の社会生物学論争を経て、遺伝子を自然選択の単位と見なすこの立場は広く受け入れられていった。 この説の拡張に貢献している現代の主要な理論家には、メイナード=スミス、G.ウィリアムス、トリヴァーズらの他ヘレナ・クローニン、デイビッド・ヘイグ、デイビット・ハル、フィリップ・キッチャー、ティム・クラットンブロック、ダニエル・デネットなどがいる。
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