社会生物学論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 22:40 UTC 版)
社会生物学は1960年代に始まった若い学問分野であるが、わずか数十年で多くの研究者の議論対象に上り詰めた。一方で、近代国民国家時代のヒューマニズムに影響された性善説的な生物観になじんだ人々に一種の強い不快感を与えてきたのも事実である。[独自研究?]特に、動物の利他的行動を遺伝子の利己的戦略という見方から捉える視点は、人道主義的な人間観・倫理観との間に齟齬をきたし、社会生物学論争と呼ばれる大論争にも発展した。 昆虫や魚、鳥、哺乳類などの多くの動物の行動に対しては、ある程度理論を裏付ける観察結果が得られている。一方で、人間のように行動の可塑性が大きく複雑な社会を持つ動物の行動に対し、遺伝的な進化に焦点を当てたモデルを単純に適用することはむずかしい(このことはほとんどの社会生物学者とその批判者が当然のこととみなしている)。そこで、リチャード・ドーキンスは「利己的な遺伝子」のなかで、文化的情報の自己複製子を意味するミームという新しい用語をつくって文化的な進化の側面に注意を喚起し、また遺伝子とミーム双方の「専制支配」に抵抗する自由意志の重要性を指摘した。なお、批判のなかに、社会生物学ということばを人間の社会生物学的研究と同一視するものもあるが[誰?]、これはまちがったラベリングである。[独自研究?]しかし、同時に人間でも、子育てと子殺しや、暴力、レイプなど人間の普遍的・基本的・通文化的な性質には社会生物学は適応可能と考えられており、実際に理論を裏付ける観察結果がある程度得られている[要出典]。社会生物学が適応できないのは人間の中の文化的な部分、可変的で通文化的でも普遍的でもない部分である。また、社会生物学が脅かすとされた『人道』は、一部の社会の一部の時代の、言論の世界でしか通用せず、実際の人類の歴史記録を見ると、それとは違った人間のあり方が見えてくるが、そこではより社会生物学が予見する姿に近い行動をとっている。[独自研究?] この分野をめぐって欧米でおこなわれた論争の経緯については、ウリカ・セーゲルストローレ『真理の擁護者たち』(邦訳『社会生物学論争史』)が詳細にまとめている。社会学者である著者は、この論争の初期の現場にも立ち会い、また論争の多くの当事者の文献をフォローし、インタビューをおこなってこの本を書いた。論争の科学的側面はもちろん、その道徳的・政治的側面についても(社会生物学に対する批判のなかに偏見や誤解にもとづくものがあったことを含めて)分析を加えており、多くの点でバランスのとれた紹介となっている。論争の当事者の一人であるE.O.ウィルソンによる論争のまとめは、ラムズデンとウィルソン『精神の起源について』第2章「社会生物学論争」がある。ここで、ウィルソンは論争を2期に分けている。
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