応永地震
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応永地震(おうえいじしん)は、1408年1月12日(ユリウス暦)/1月21日(グレゴリオ暦)(応永14年12月14日)に、京都で記録が残る地震である。紀伊・伊勢の記録とされるものもあるが[1]、これらは疑問視されている[2]。
- ^ “地震、飢饉、疫病が続発し、南北朝から戦国時代へと乱世が続いた室町時代(福和伸夫) - Yahoo!ニュース”. Yahoo!ニュース 個人. 2020年10月20日閲覧。
- ^ a b c 山本武夫・萩原尊禮, 1989, 疑わしい四つの熊野灘地震, 続古地震-実像と虚像, p250.
- ^ a b 古代中世地震史料研究会 [古代・中世]地震・噴火史料データベース(β版)
- ^ 『大日本地震史料 増訂』p359
- ^ a b c 宇佐美(2003), p45.
- ^ a b 『理科年表』, p738.
- ^ 続補遺, p12.
- ^ 加納靖之・大邑潤三・山村紀香・濱野未来, 2019, [講演要旨]京都周辺の地震史料の再検討(1)1407年と1408年の地震 (PDF) , 歴史地震, 第34号, 246.
- ^ 新収第一巻, p91.
- ^ 新収第三巻別巻, p300.
- ^ a b 加納靖之, 2017, [資料]地震年表や史料集における年月日の取り違え (PDF) , 歴史地震, 第32号, 87-93.
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