主な地震の一覧とは? わかりやすく解説

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主な地震の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 21:45 UTC 版)

チリ地震」の記事における「主な地震の一覧」の解説

チリ沖地震」も参照 19世紀以前マグニチュード推定8.0以上、または死者推定100人以上の地震es:Anexo:Terremotos_en_Chileより抽出表面波マグニチュードMs)はen:Centro_Sismológico_Nacionalより、モーメントマグニチュード (Mw)は米国地質調査所USGS)より。 19世紀以前チリおよび周辺地震MsMw日付(現地時間)地名または地震深度MMI死者備考8.3 1570 02-08 コンセプシオン_(チリ)英:1570_Concepción 2,000 8.5 1575 12-16 バルディビア地震1575年200 8.5 1604 11-24 アリカ_(チリ)西:Arica_de_1604 120 8.8 1615 9-16 アリカ西:Arica_de_1615 0 8.5 1647 5-13 サンティアゴ_(チリ)英:1647_Santiago 600 8.0 1657 3-15 コンセプシオン 34 7.3 1681 3-10 アリカ西:Arica_de_1681 133 8.7 1730 7-8 バルパライソ英:1730_Valparaíso 3,000 7.7 1737 12-24 バルディビア地震 212 8.5 1751 5-25 コンセプシオン英:1751_Concepción 65 8.3 1819 4-11 コピアポ西:Copiapó_de_1819 133 8.5 1822 11-19 コピアポ西:Copiapó_de_1822 76 8.5 1835 2-20 コンセプシオン西:Concepción_de_1835 30-120 8.0 1837 11-7 バルディビア地震西:Valdivia_de_1837 12 7.3 1850 12-6 サンティアゴ西:Santiago_de_1850 105 8.5 9.0 1868 8-13 アリカ地震1868年500 8.9 1873 7-7 ペトルカ県西:La_Ligua_y_Petorca_de_1873 106 8.5 8.3 1877 5-9 イキケ地震1877年34 MsMw日付地名地震深度MMI死者備考20世紀以降はM7.5以上、または死者100人以上の地震USGS地震カタログから抽出モーメントマグニチュード (Mw)は米国地質調査所USGS)の数値である。 20世紀以降チリおよび周辺地震MsMw日時 (UTC)地名または地震深度MMI死者備考 8.2 1906 08-17 00:40 バルパライソ英:1906_Valparaíso 35.0 km 3,000 南緯322400西経712400秒 / 南緯32.400度 西経71.400度 / -32.400; -71.400 7.7 1913 08-06 22:14 ペルー・アレキパ県沖 25.0 km 南緯162808西経734923秒 / 南緯16.469度 西経73.823度 / -16.469; -73.823 7.6 1914 01-30 03:35 ビオビオ州沖 15.0 km 南緯361731西経750325秒 / 南緯36.292度 西経75.057度 / -36.292; -75.057 7.8 1918 12-04 11:47 アタカマ州西:Copiapó_de_1918 40.0 km 6 南緯281735西経695107秒 / 南緯28.293度 西経69.852度 / -28.293; -69.852 8.5 1922 11-11 04:32 アタカマ州英:1922_Vallenar 70.0 km 800 南緯281735西経695107秒 / 南緯28.293度 西経69.852度 / -28.293; -69.852 7.7 1928 12-01 04:06 マウレ州英:1928_Talca 35.0 km 300 南緯350918西経720618秒 / 南緯35.155度 西経72.105度 / -35.155; -72.105 7.5 1936 07-13 11:12 アントファガスタ 35.0 km 南緯244312秒 西経700636秒 / 南緯24.720度 西経70.110度 / -24.720; -70.110 7.8 1939 01-25 03:32 ビオビオ州英:1939_Chillán 35.0 km 5,648 南緯361818西経721854秒 / 南緯36.305度 西経72.315度 / -36.305; -72.315 8.1 1943 04-06 16:07 コキンボ州西:Ovalle_de_1943 35.0 km 12 南緯312555西経712830秒 / 南緯31.432度 西経71.475度 / -31.432; -71.475 7.7 1949 12-17 06:53 ティエラ・デル・フエゴ英:1949_Tierra_del_Fuego 10.0 km 6 南緯535523西経693546秒 / 南緯53.923度 西経69.596度 / -53.923; -69.596 8.2 1950 12-09 21:38 アントファガスタ 113.9 km 南緯235837西経675443秒 / 南緯23.977度 西経67.912度 / -23.977; -67.912 7.5 1953 05-06 17:16 ビオビオ州西:San_Carlos_de_1953 66.0 km 12 南緯205653西経664247秒 / 南緯20.948度 西経66.713度 / -20.948; -66.713 7.7 1957 11-29 22:19 ポトシボリビア 232.5 km 南緯205653西経664247秒 / 南緯20.948度 西経66.713度 / -20.948; -66.713 8.1 1960 05-21 10:02 ビオビオ州英:1960_Concepción 25.0 km VIII 125 南緯374926西経732111秒 / 南緯37.824度 西経73.353度 / -37.824; -73.353 7.8 1960 05-22 18:56 ラ・アラウカニア州英:1960_Concepción 25.0 km X 南緯380340西経730220秒 / 南緯38.061度 西経73.039度 / -38.061; -73.039 9.5 1960 05-22 19:11 ビオビオ州バルディビア地震 25.0 km IX 2,000 南緯380835西経732425秒 / 南緯38.143度 西経73.407度 / -38.143; -73.407 7.8 1960 06-06 05:55 アイセン州 15.0 km VII 南緯45度4706西経725320秒 / 南緯45.785度 西経72.889度 / -45.785; -72.889 7.4 1965 03-28 16:33 バルパライソ西:La_Ligua_de_1965 70.0 km VIII 280 南緯3231分19西経711359秒 / 南緯32.522度 西経71.233度 / -32.522; -71.233 7.7 1966 12-28 08:18 アントファガスタ西:Taltal_de_1966 25.0 km IX 6 南緯252938西経703300秒 / 南緯25.494度 西経70.550度 / -25.494; -70.550 7.8 1971 07-09 03:03 バルパライソ西:Illapel_de_1971 60.3 km VI 85 南緯323604西経710434秒 / 南緯32.601度 西経71.076度 / -32.601; -71.076 7.7 1975 05-10 14:27 ビオビオ州6.0 km IX 南緯381059西経731355秒 / 南緯38.183度 西経73.232度 / -38.183; -73.232 8.0 1985 03-03 22:47 バルパライソ沖英:1985_Algarrobo 33.0 km VIII 178 南緯330806西経715216秒 / 南緯33.135度 西経71.871度 / -33.135; -71.871 7.6 1987 03-05 09:17 アントファガスタ 62.3 km VII 南緯242317西経700940秒 / 南緯24.388度 西経70.161度 / -24.388; -70.161 8.0 1995 07-30 05:11 アントファガスタ1995年アントファガスタ地震 45.6 km VIII 3 南緯232024西経701738秒 / 南緯23.340度 西経70.294度 / -23.340; -70.294 8.4 2001 06-23 20:33ペルー英:2001_southern_Peru 33.0 km IX 南緯161554西経733828秒 / 南緯16.265度 西経73.641度 / -16.265; -73.641 7.6 2001 07-07 09:38ペルー 33.0 km VII 南緯173235西経720437秒 / 南緯17.543度 西経72.077度 / -17.543; -72.077 7.8 2005 06-13 22:44 タラパカ州英:2005_Tarapacá 115.6 km VII VIII 11 南緯195913西経691149秒 / 南緯19.987度 西経69.197度 / -19.987; -69.197 7.7 2007 11-14 15:40 アントファガスタ英:2007_Tocopilla 40.0 km VII VIII 2 南緯221449西経695324秒 / 南緯22.247度 西経69.890度 / -22.247; -69.890 8.8 2010 02-27 06:34 ビオビオ州チリ地震_(2010年) 22.9 km VIII IX 521 南緯360719西経725353秒 / 南緯36.122度 西経72.898度 / -36.122; -72.898 8.2 2014 04-01 23:46 イキケ北西94kmイキケ地震_(2014年) 25.0 km VIII IX 7 南緯193636西経704608秒 / 南緯19.610度 西経70.769度 / -19.610; -70.769 7.7 2014 04-03 02:43 イキケ南西53km 22.4 km VII IX 南緯203416西経702935秒 / 南緯20.571度 西経70.493度 / -20.571; -70.493 8.3 2015 09-16 22:54 イヤペル西方48kmイヤペル地震 22.4 km VIII IX 15 南緯313423西経714026秒 / 南緯31.573度 西経71.674度 / -31.573; -71.674 7.6 2016 12-25 14:22 チロエ島南西41km西:Chiloé_de_2016 38.0 km VIII IX 南緯432422西経735628秒 / 南緯43.406度 西経73.941度 / -43.406; -73.941 MsMw日付地名地震深度MMI死者備考英語版およびスペイン語版詳細な地震カタログ記載されている。

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主な地震の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 07:55 UTC 版)

南海地震」の記事における「主な地震の一覧」の解説

南海地震過去1,000年余過去の地震活動記録残されている世界的にも例をみない地震である。 南海地震単独発生した確かな例は昭和地震および安政地震とされるが、震源域が全く等しわけではない康和地震単独発生可能性があるが南海地震としての典拠史料である土佐記録日付誤記であるとの仮定の下の推定であり、その他南海地震考えられていた白鳳地震仁和地震正平地震連動型地震である可能性唱えられている。明応地震については単独起きたあるいは連動型であった諸説ある。 津波地震とされる特異な慶長地震は、地震調査研究推進本部による2001年時点長期評価では、南海トラフ地震系列属すものと評価しているが、南海トラフプレート境界地震無く遠地津波とする見解や、伊豆・小笠原海溝付近震源とする見解出されている。 ※西暦表記日付慶長地震以降グレゴリオ暦明応地震以前ユリウス暦カッコ内はグレゴリオ暦)。マグニチュード宇佐美(2003)による推定値昭和地震気象庁による値であるが、巨大地震ゆえ何れもモーメントマグニチュードとは乖離がある。 684年11月26日11月29日)(天武13年10月14日白鳳地震天武地震) - M 8+1⁄4、死者多数。亥時(午後9時 - 11時頃)になって大地震があった。土佐津波により大きな被害伊予湯泉(道後温泉)は埋没してなくなり田園(約 12 km2)が海面下へ沈下。これは『日本書紀』南海地震とされる最古の記録である。地質調査によれば東海道沖震源域におけるほぼ同時期の地震痕跡発見される887年8月22日8月26日)(仁和3年7月30日仁和地震 - M 8.0 - 8.5五畿七道諸国京都摂津中心に死者多数津波あり。地質調査によれば東海道沖地震震源域におけるほぼ同時期の地震痕跡発見される1361年7月26日8月3日)(南朝正平16年6月24日北朝康安元年6月24日正平地震康安地震) - M 8+1⁄4 - 8.5死者多数摂津阿波土佐津波により大きな被害摂津四天王寺金堂転倒し圧死者が出た津波摂津阿波土佐被害、特に阿波由岐)湊で流失1,700戸、流死60余。東海道沖震源域に含むかは不明だが、同時期に東南海地震震源域地震発生したという説もある。東大地震研調査した法隆寺記録によると、淡路島障壁にも関わらず大阪市天王寺区でも海岸から4km以上に渡り津波押し寄せたという。さらには伊勢神宮古文書でも当時の記録残されていることがわかっている。 1707年10月28日宝永4年10月4日宝永地震南海トラフ全域震源域とされる) - M 8.6、五畿七道諸国東海地方から九州東部の広い範囲激震域となる。この地震49日後に富士山噴火し宝永山火口)ができる(宝永大噴火)。死者2万人余、倒壊家屋6万戸余。房総半島から九州まで大津波襲来し大坂土佐被害甚大であり、青龍寺久礼では標高25mの地点まで遡上した。道後温泉湧出145日間止まる1854年12月24日嘉永7年11月5日安政南海地震 - M 8.4、死者千 - 3千人紀伊土佐などで津波により大きな被害串本最大波高 11 m)。大坂湾に注ぐいくつかの川が逆流道後温泉湧出106日間止まる時間差でこの32時間前に安政東海地震東海道沖地震)が発生している。両地震による死者合計は約3万人との説もある。余震とみられる地震9年間で2,979回記録された(『真覚寺日記』)。 1946年昭和21年12月21日 昭和南海地震 - M 8.0被害中部以西日本各地にわたり、死者1,330名、家屋全壊11,591戸、半壊23,487戸、流失1,451戸、焼失2,598戸。津波静岡県より九州にいたる海岸来襲し、高知三重徳島沿岸4 - 6 m に達した室戸紀伊半島は南上がり傾動示し室戸で 1.27 m、潮岬で 0.7 m 上昇、須崎甲浦で約 1 m 沈下高知付近田園15km2が海面下に没した道後温泉湧出38日間止まる山口県美祢市(旧美祢郡別府村 (山口県)共和村)では秋吉台麓の厚東川沿いの低地に「口径 1 - 11 m、深さ 1 - 5 m の堆積ドリーネ150発生した」。この地震2年前、1944年昭和19年12月7日には昭和東南海地震発生している。 以下の地震南海道沖で発生した巨大地震である可能性が高いが、その発生時期について議論されている。 1099年2月16日2月22日)(承徳3年1月24日康和地震 - M 8.0 - 8.3興福寺西金堂・塔小破大門回廊倒れた摂津天王寺回廊倒る死者数津波記録未確認土佐において地殻変動で田千余町(約1,000ha)みな海に沈むとする紙背文書記録興福寺天王寺被害出た地震同一のものと考えられた。しかし、地震の発生日時記録など問題があり康和地震南海地震ではなく、この地震2年2ヶ月前に発生した永長地震1096年12月11日12月17日嘉保3年11月24日東海道沖巨大地震推定される)こそが、南海道沖の地震をも含む宝永であった可能性考えられるとされる。 以下の地震南海トラフ巨大地震一つ、あるいは関連の深い地震とする学説提唱されていたが、異論出されている。 734年5月14日5月18日)(天平6年4月7日) - 畿内七道地震をこの種の地震位置付ける説もあるが、津波記録確認されず、生駒断層帯活動による内陸地震との説が有力。 794年8月9日8月13日)(延暦13年7月10日 - 巨大地震津波発生日本紀略記述宮中並びに京畿官舎及び人家震う或いは震死する者あり」から推定される。しかし「震死」は一般的に打たれて死ぬことを意味し地震ではない可能性が高いとされた。 10世紀後半頃 - 奈良県香芝町箸尾遺跡砂脈跡があるが(発掘調査)、内陸地震可能性否定できず現時点では南海地震断定するには決め手欠ける。徳島県海陽町千光寺の『薬師如来出現図』には、永延元年5月987年)に漁船が波に呑まれたとき薬師如来現れ助けたという縁起伝承描かれ南海地震津波考えられたことも有ったが、江戸時代後期書かれたものであり、時期987年特定されるわけでもなければ津波であると断言出来ず、これを南海地震津波とするには不確実さが何重に存在するとされる1185年8月6日8月13日)(元暦2年7月9日津波思われる記録から文治地震南海トラフ沿いの巨大地震とする説もあるが、琵琶湖西岸断層帯南部活動による内陸地殻内地震との説が有力であり、地震記録様相内陸地震考える方が妥当とされる13世紀前半頃 - 大阪府堺市石津太神社および和歌山県箕島藤並遺跡南海地震によると思われる液状化現象遺跡あり(発掘調査)。1233年3月17日3月24日)(貞永2年2月5日)に諸国?で大地震記録存在するが、同日京都における有感地震記録確認されず、この文書の伝わる蓮専寺開基以前記事であって信頼性低く疑問視されている。古記録からこの時期南海トラフ巨大地震発生時期を探る試みもある。 1408年1月12日1月21日)(応永14年12月14日) - 応永地震京都紀伊伊勢地震鎌倉津波があり、熊野本宮温泉湧出停止したというが、宝永地震丁亥年)との混同可能性があり京都以外の史料疑問視されている。 地質調査によれば明応地震1498年9月11日9月20日)(明応7年8月25日) (東海・東南海地震) - M 8.2 - 8.4、死者3 - 4万人以上と推定伊勢駿河などで津波により大きな被害浜名湖が海と繋がり伊勢大湊家屋1,000戸、溺死者5,000人。伊勢志摩溺死10,000人、静岡県志太郡の『林叟院記録』で溺死26,000人など。》前後南海地震発生1498年6月30日7月9日)(明応7年6月11日)に、中国揚子江水面揺るがしたとされる日向灘地震南海地震相当するとの説もある。明応地震73日前発生し南海地震東海地震先行した例であるとされる。しかし、これには史料の無理な解釈含まれ安政地震後に起きた豊予海峡地震上海付近強く揺らしており、九州付近起きたスラブ内地震の可能性もあるという。 1520年3月25日4月4日)(永正17年3月7日) - 永正地震京都紀伊地震熊野那智寺社破壊され津波があったが、フィリピン海プレートスラブ内地震の可能性があるとされる1605年2月3日慶長9年12月16日慶長地震東海・東南海・南海地震?) - M 7.9 - 8、関東から九州までの太平洋岸に津波房総半島阿波土佐などで大きな被害八丈島でも津波による死者57人。死者1万 - 2万人推定されるが、津波以外の被害記録はほとんど見出されていない南海トラフ沿いの津波地震との仮説出されていた。震源域には諸説あり、南海トラフ地震ではないとする見解出されている。

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