最古の記録
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 07:18 UTC 版)
アイルランドの競馬の歴史は非常に長く、古代の文書『ダ・デルガ邸の破壊』(英語版)には地域を治める豪族のコナイア王(英語版)が4頭をそろえてカラ(英語版)で繋駕車競走に参加したという話が記され、諸説あるものの時代は紀元前110年から紀元60年の間と考えられる。古い時代にカラで競馬を開いたことは、およそ7世紀に書かれたとされる別の資料「賛美歌の書」Liber Hymnorum(英語版)にも記録がある。伝説のフィアナ騎士団は駕車をつながず競走を楽しんだといい、レンスターの書(英語版)にはカラと近隣のリムリック県クルム(英語版)で開かれた競走の様子を伝える詩があり、また現代も続くケリー県ロスビーの浜辺で行う競走でも伝統に触れている。ゴールウェイ競馬場には13世紀、「キングスプレート競走の条項」に従い「馬の試合」を行ったと伝わっている。 しかしながら最初期の競走開催で検証可能な証拠を求めると、デリー県知事が1603年に国王令状を授けられ、見本市と定期市の開催に合わせて競馬施行を免許されている。17世紀にカリクファーガス(英語版)の競走に参加して殺された騎手に寄せた詩(1622年)は競馬が当時、アイルランドで人気があったと明白に語り、別の記録では1634年の初代ディグビー男爵(英語版)と初代オーモンド公が対戦した競走、さらに1682年にキルデア伯爵(英語版)が開催した競走で勝者に与えられた40ポンド (18 kg) の銘板が現存する。初代准男爵サー・ウィリアム・テンプルはイングランド王チャールズ2世に宛てた1673年の書簡で次のように述べた。 「アイルランドでは(訳注:イングランドの)馬は売り物になりません……こちらの生産馬はわれらが祖国に持ち帰ると高値を呼びそうな、形が秀でて活力と体格に優れたものばかりで、余所者(訳注:イングランド産の馬)を売れるものなら売ってみろと言われてしまう始末です。」
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