1950年代前半
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 15:56 UTC 版)
「コンピュータゲームの歴史」の記事における「1950年代前半」の解説
Whirlwindで、「バウンシング・ボール(Bouncing Ball)」というゲームが動いていたとされ、何らかの形でコンピュータによるゲームが作られた最古の記録と言われる。ただし、ゲームではなくボールがバウンドする様子を再現した一種のデモプログラムだったとする説もある。
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1950年代前半
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「日本の漫画の歴史」の記事における「1950年代前半」の解説
1950年代に入り、『冒険活劇文庫』(明々社)、『おもしろブック』(集英社)などの児童向けの月刊誌が発刊され、紙芝居の作家たちが手掛けた、紙芝居シリーズを元にした、イラストレーションと文章による絵物語がブームを呼ぶ。このうち、永松健夫『黄金バット』、山川惣治『少年王者』などが「赤本」のシリーズに入れられるようになった。赤本は、少年向け読み物を主とした廉価な単行本シリーズで、書店ではなく、駄菓子屋や紙芝居屋によって販売された。戦前から赤本のラインナップには漫画も存在していた。手塚治虫は、この赤本漫画において、まとまったストーリーを展開する方法を確立し、描き下ろし長編作品『新宝島』(1947年)で赤本漫画ブームを巻き起こした。 赤本漫画ブームを受け、絵物語中心だった月刊誌は、のちに漫画へ軸足を移す。この時期の雑誌漫画における少年漫画・少女漫画の物語ジャンルは、紙芝居からの借用が多く見られた。『黄金バット』から派生したヒーローものやロボットもの、『ハカバキタロー』や『猫娘』などの「因果もの」から借用した怪奇漫画、戦前の兵隊ものを換骨奪胎したスポーツものなどが主軸となった。この時期の人気連載作品に福井英一『イガグリくん』(少年少女冒険王)、倉金章介『あんみつ姫』(少女)、武内つなよし『赤胴鈴之助』(少年画報)、手塚治虫『鉄腕アトム』(少年)などがある。なお、雑誌や単行本といった漫画媒体は、あくまでも裕福な都市部の子供の文化にとどまり、その他の多くの子供にとっては高価であった。
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