1950年代初頭
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「ロックンロールの起源」の記事における「1950年代初頭」の解説
「Boogie in the Park」-1950年7月にジョー・ヒル・ルイスが録音。ルイが基本のドラムセットで演奏しつつ「史上最大音量で、最もオーバードライブかつディストーションさせたギターストンプ」を演奏するワンマンバンドが特徴。またルイのエレキギター作品はヘヴィメタル音楽の遠い祖先と考えられている。 「Hot Rod Race」-1950年後半にアーキー・シブリーと彼のマウンテン・デュー・ボーイズが録音。ティーン文化における速く走る自動車の役割を強調した。 「Sixty Minute Man」- 1950年12月30日にビリー・ウォード&ヒズ・ドミノスが録音。ポップチャートにまたがる最初の(かつ最も性的に露骨な)R&B大ヒット曲で、ルネ・ホールのギター演奏が特徴。このグループはアラン・フリードの番組初期に多く登場した。 「Rocket 88」-1951年3月5日にジャッキー・ブレンストンと彼のデルタ・キャッツ(実際にはアイク・ターナーとキングズ・オブ・リズム)が録音、ブレンストンがボーカル役をこなした。サム・フィリップスが制作した原曲盤は、その音色と歌詞内容が多大な影響を与えて大ヒットした。多くの著者が、これを最初またはロックンロールというジャンルの始まりだと明言している。ターナー自身はそれをR&Bの曲であろうと考えており「自分はRocket 88がロックンロールだとは思わない。Rocket 88はR&Bだと自分は考えていて、でもRocket 88は今あるロックンロールの一因だとも考えている」と述べた。この曲はまたウィリー・キザートが演奏する初期のディストーションギターやファズギターも特徴である。 「How Many More Years」-1951年5月にハウリン・ウルフが録音。作家ロバート・パルマーは、エレキギターで演奏されたディストーション付きのパワーコードを特徴とする最初のレコードとしてこの曲を挙げている。 「Cry」- 1951年10月16日にジョニー・レイが録音。彼の感情的な歌唱法 は後年のボーカルスタイルの典型となり、さらに重要なことにR&Bチャートだけでなくポップチャートでも首位になる事で、この音楽が人種の壁を乗り越えうることを示した。 「Rock and Roll Blues」-1952年1月22日にアニタ・オデイが録音。史上最高のジャズ歌手の一人とされる彼女の数少ない作曲の一つ。 「Hound Dog」-1952年8月13日にビッグ・ママ・ソーントンが録音。ジョニー・オーティスのバンド(契約上の理由で名義なし)と共に録音された騒がしいR&B曲は、白人のジェリー・リーバーとマイク・ストーラーによる作詞。後年エルヴィス・プレスリーによって有名になった(エルヴィス盤に関してはハウンド・ドッグ (エルヴィス・プレスリーの曲)を参照)。 「Love My Baby」「Mystery Train」-1953年にジュニア・パーカーが自身のエレクトリック・ブルースバンドを率いて録音。それぞれ後にヘイデン・トンプソンとエルヴィス・プレスリーによってカバーされ、「将来のロカビリー定番曲に貢献した2曲」とされている。 「Gee」-1953年2月10日にザ・クロウズが録音。1954年の大ヒット曲で、ロックンロールの権威ジェイ・ワーナーから「ロックンロールグループによって初めてヒットしたロックンロール」と評されている。 「Crazy Man, Crazy」-1953年4月にビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツが録音。誰かのカバーではなくオリジナル作曲で、「ポップチャートでヒットした最初のロックンロール曲」と評されている。ロックンロールの殿堂は、この曲を「ビルボードのポップチャート入りを果たした最初のロックンロールレコードとなったと思われる、カントリーとR&Bの独自融合」と見なしている。 「Mess Around」-1953年5月にレイ・チャールズが録音した、彼の最初期のヒット曲の一つ。この作詞名義は、1929年の古典「Pinetop's Boogie Woogie」の一部歌詞のリフオフにあたると、アーメット・アーティガンから問題提起された。1954年11月に録音された「I've Got a Woman」は、ゴスペルとR&Bを組み合わせて大ヒットした最初のソウルミュージックと広く考えられている。 「The Things That I Used to Do」-1953年10月16日にギター・スリムが録音。ロックンロールに大きな影響を与え、ディストーションをエレキギターに掛けた倍音を特徴とするエレクトリック・ブルースの曲。ロックンロールを形作ったロックの殿堂入り500曲のひとつとしてリスト掲載されている。 「 Work with Me, Annie」-1954年1月14日にハンク・バラード&ザ・ミッドナイターズが録音。その猥褻な歌詞にもかかわらずR&Bチャートで7週間1位となり、幾つかの続編も生まれた。ラジオで放送禁止となり、ロックンロールの禁止要請につながったが、歌詞はすぐに保守的な白人聴衆向けに書き直され、ジョージア・ギブスは自身で直した「Dance with Me, Henry」で1955年にポップチャート1位となった。 「Shake, Rattle and Roll」-1954年2月15日にビッグ・ジョー・ターナーが録音、6月にビルボードR&Bチャートの1位になった。カバーとはいえ歌詞と編曲が大きく異なるヘイリー盤は8月末にポップチャートで7位になり、同年の「ロック・アラウンド・ザ・クロック」による大成功を予兆させた。 「ロック・アラウンド・ザ・クロック」-1954年4月12日にビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツが録音。この曲はアメリカのポップ・チャートで初めて1位になったロックンロール・レコードで、その後38週にわたってTop100位以内に留まった。このレコードは多くの場合、ロックを主流(少なくともティーン世代の主流)に押し上げたものと言われている。当初は売上が今一つだったが、彼の他の楽曲「Shake Rattle and Roll」「Dim, Dim the Lights」が好評だったこともあり、翌年の『暴力教室 (1955年の映画)』に挿入されたことでより多くの観客に視聴され、1955年に世界的な成功を収めた。最終的には600万枚を売り上げた。曲自体は、1953年後半にソニー・ダエ&ヒズ・ナイツが録音したもので、ヘイリーが自身の盤を録音した時にこの斬新な楽曲は控えめなローカルヒット曲だった。 ジェームズ・コットンの「Cotton Crop Blues」とパット・ヘアの「I'm Gonna Murder My Baby」-いずれも1954年5月に録音。ヘヴィメタルの音楽要素を予期させるような、重いディストーションを掛けたパワーコード運びのエレキギターソロを特徴とするエレクトリック・ブルースのレコード。 「ザッツ・オール・ライト」-1954年7月5日にエルヴィス・プレスリーが録音したもの。これはアーサー・クルーダップの曲のカバーであり、プレスリーの最初のシングル。プレスリー盤は「原曲の少なくとも2倍の速さ」であるため、クルーダップと全く一緒というわけではない。B面はビル・モンローのブルーグラス曲「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」のロック版で、様々なロック歌手がこの音楽に影響を受けたとされている。「エルヴィス・プレスリーの作品#サン・レコード」も参照
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