1950年代初頭とは? わかりやすく解説

1950年代初頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 08:25 UTC 版)

ロックンロールの起源」の記事における「1950年代初頭」の解説

Boogie in the Park」-1950年7月にジョー・ヒル・ルイスが録音ルイ基本ドラムセット演奏しつつ「史上最大音量で、最もオーバードライブかつディストーションさせたギターストンプ」を演奏するワンマンバンド特徴。またルイエレキギター作品ヘヴィメタル音楽の遠い祖先考えられている。 「Hot Rod Race」-1950年後半にアーキー・シブリーと彼のマウンテン・デュー・ボーイズが録音ティーン文化における速く走る自動車役割強調した。 「Sixty Minute Man」- 1950年12月30日にビリー・ウォード&ヒズ・ドミノスが録音。ポップチャートにまたがる最初の(かつ最も性的に露骨な)R&B大ヒット曲で、ルネ・ホールのギター演奏特徴。このグループアラン・フリード番組初期多く登場した。 「Rocket 88」-1951年3月5日ジャッキー・ブレンストン彼のデルタ・キャッツ(実際にアイク・ターナーとキングズ・オブ・リズム)が録音、ブレンストンがボーカル役をこなしたサム・フィリップス制作した原曲盤は、その音色歌詞内容多大な影響与えて大ヒットした。多く著者が、これを最初またはロックンロールというジャンル始まりだと明言している。ターナー自身はそれをR&Bの曲であろう考えており「自分Rocket 88ロックンロールだとは思わないRocket 88R&Bだと自分考えていて、でもRocket 88は今あるロックンロール一因だとも考えている」と述べた。この曲はまたウィリー・キザートが演奏する初期のディストーションギターやファズギターも特徴である。 「How Many More Years」-1951年5月ハウリン・ウルフ録音作家ロバート・パルマーは、エレキギター演奏されディストーション付きパワーコード特徴とする最初レコードとしてこの曲を挙げている。 「Cry」- 1951年10月16日ジョニー・レイ録音彼の感情的な歌唱法後年ボーカルスタイル典型となり、さらに重要なことにR&Bチャートだけでなくポップチャートでも首位になる事で、この音楽人種の壁を乗り越えうることを示した。 「Rock and Roll Blues」-1952年1月22日アニタ・オデイ録音史上最高のジャズ歌手一人とされる彼女の数少ない作曲一つ。 「Hound Dog」-1952年8月13日ビッグ・ママ・ソーントン録音。ジョニー・オーティスのバンド契約上の理由名義なし)と共に録音され騒がしR&B曲は、白人ジェリー・リーバーとマイク・ストーラーによる作詞後年エルヴィス・プレスリーによって有名になった(エルヴィスに関してハウンド・ドッグ (エルヴィス・プレスリーの曲)参照)。 「Love My Baby」「Mystery Train」-1953年ジュニア・パーカー自身のエレクトリック・ブルースバンドを率いて録音それぞれ後にヘイデン・トンプソンとエルヴィス・プレスリーによってカバーされ、「将来ロカビリー定番曲に貢献した2曲」とされている。 「Gee」-1953年2月10日にザ・クロウズが録音1954年大ヒット曲で、ロックンロール権威ジェイ・ワーナーから「ロックンロールグループによって初めヒットしたロックンロール」と評されている。 「Crazy Man, Crazy」-1953年4月ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ録音誰かカバーではなくオリジナル作曲で、「ポップチャートでヒットした最初ロックンロール曲」と評されている。ロックンロールの殿堂は、この曲を「ビルボードのポップチャート入り果たした最初のロックンロールレコードとなった思われるカントリーR&Bの独自融合」と見なしている。 「Mess Around」-1953年5月レイ・チャールズ録音した彼の最初期ヒット曲一つ。この作詞名義は、1929年古典「Pinetop's Boogie Woogie」の一部歌詞のリフオフにあたると、アーメット・アーティガンから問題提起された。1954年11月録音された「I've Got a Woman」は、ゴスペルR&B組み合わせて大ヒットした最初ソウルミュージック広く考えられている。 「The Things That I Used to Do」-1953年10月16日ギター・スリム録音ロックンロール大きな影響与えディストーションエレキギター掛けた倍音特徴とするエレクトリック・ブルースの曲。ロックンロール形作ったロックの殿堂入り500曲のひとつとしてリスト掲載されている。 「 Work with Me, Annie」-1954年1月14日にハンク・バラード&ザ・ミッドナイターズが録音。その猥褻な歌詞にもかかわらずR&Bチャートで7週間1位となり、幾つかの続編生まれたラジオ放送禁止となり、ロックンロール禁止要請つながったが、歌詞はすぐに保守的な白人聴衆向けに書き直され、ジョージア・ギブスは自身直したDance with Me, Henry」で1955年にポップチャート1位となった。 「Shake, Rattle and Roll」-1954年2月15日ビッグ・ジョー・ターナー録音6月ビルボードR&Bチャートの1位になったカバーとはいえ歌詞編曲大きく異なヘイリー盤は8月末にポップチャートで7位になり、同年の「ロック・アラウンド・ザ・クロック」による大成功予兆させた。 「ロック・アラウンド・ザ・クロック」-1954年4月12日ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ録音。この曲はアメリカのポップ・チャートで初めて1位になったロックンロール・レコードで、その後38週にわたってTop100位以内に留まった。このレコード多く場合ロック主流少なくともティーン世代主流)に押し上げたものと言われている。当初売上今一つだったが、彼の他の楽曲Shake Rattle and Roll」「Dim, Dim the Lights」が好評だったこともあり、翌年の『暴力教室 (1955年の映画)』に挿入されたことでより多く観客視聴され1955年世界的な成功収めた最終的に600万枚売り上げた。曲自体は、1953年後半にソニー・ダエ&ヒズ・ナイツが録音したもので、ヘイリー自身の盤を録音した時にこの斬新な楽曲控えめなローカルヒット曲だった。 ジェームズ・コットンの「Cotton Crop Blues」とパット・ヘアの「I'm Gonna Murder My Baby」-いずれも1954年5月録音ヘヴィメタル音楽要素予期させるような、重いディストーション掛けたパワーコード運びのエレキギターソロを特徴とするエレクトリック・ブルースのレコード。 「ザッツ・オール・ライト」-1954年7月5日エルヴィス・プレスリー録音したもの。これはアーサー・クルーダップの曲のカバーであり、プレスリー最初シングルプレスリー盤は「原曲少なくとも2倍の速さ」であるため、クルーダップと全く一緒というわけではない。B面ビル・モンローブルーグラス曲「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」のロック版で、様々なロック歌手がこの音楽影響受けたとされている。「エルヴィス・プレスリーの作品#サン・レコード」も参照

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