1950年代半ばのイギリス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 14:53 UTC 版)
「ポップアート」の記事における「1950年代半ばのイギリス」の解説
最初にポップアートが盛んになったのはイギリス(特にロンドン)であった。エドゥアルド・パオロッツィは戦後間もなく、米軍兵士らと共に持ち込まれたアメリカの雑誌の切り抜きでコラージュを作り、すでにポップアートの始まりとなる作品を作っていた。 1952年から、ロンドンのICAというギャラリーで、パオロッツイら若い美術家やローレンス・アロウェイ(英語版)など評論家が集まり、「インディペンデント・グループ」というグループを組んで芸術と大衆文化のかかわりの研究を続けていた。第二次世界大戦後の疲弊したイギリスに豊かなアメリカから急速に浸透し、若者を夢中にさせていた広告やSFや漫画や大衆音楽などのアメリカ大衆文化に対する皮肉で客観的な目もあったが、これらを敵とするよりはむしろ現代を見直す新しい素材を提供するものとしてどんどん活用しようという発想もあった。「ポップアート」という言葉の誕生は、この研究のさなか、ローレンス・アロウェイが1956年に商業デザインなどを指して「ポピュラーなアート」という意味で使用したときである。 同年、この成果を元にロンドンで『これが明日だ』展が開催された。ここで発表されたリチャード・ハミルトンの作品『一体何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力あるものにしているのか』は、雑誌や広告の魅力的な商品やゴージャスなモデル写真を切り貼りしたコラージュで、ポップアートの先駆的作品といわれている。特にボディビルダーの男性が持つロリポップキャンディーの包み紙の「POP」の文字が強い印象を与えた。 ハミルトンは翌年、この展覧会を振り返って「ポップ」(大衆文化)を次のようなものだとした。 通俗的、一過性、消耗品、安価、大量、若々しい、しゃれた、セクシー、見掛け倒し、魅力的、大企業 イギリスのポップアートは1961年、デイヴィッド・ホックニーら多くの若い美術家が出展した『ヤング・コンテンポラリーズ』展で全盛を迎えた。
※この「1950年代半ばのイギリス」の解説は、「ポップアート」の解説の一部です。
「1950年代半ばのイギリス」を含む「ポップアート」の記事については、「ポップアート」の概要を参照ください。
- 1950年代半ばのイギリスのページへのリンク