1950年代後半 - 1960年代後半
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 18:57 UTC 版)
「高速化 (鉄道)」の記事における「1950年代後半 - 1960年代後半」の解説
国鉄における高速化が最高潮に達したのがこの頃である。1950年代に既に全線複線電化が完成し、80系電車の投入によって長距離高速列車にも電車を使用することが可能であるという実績を得た国鉄当局は1958年(昭和33年)に新設する東海道本線の特急「こだま」へ充当すべく、20系電車(称号改正により、151系電車)を登場させる。この列車の設定により、(段階的にではあるが)東阪間はそれまでの機関車牽引特急の最速所要時間であった7時間30分を1時間も短縮した6時間30分という驚異的な所要時間で結ばれることとなった。また、この頃になると81・82系気動車の開発によって非電化区間を走る特急列車が無煙化されたことなどから全国に特急ネットワークが形成されることとなった。また、1964年(昭和39年)にはこの時期の高速化指向の集大成とも言える東海道新幹線が開業している。 1968年(昭和43年)、輸送需要の増大に応えるために東北本線をはじめとして各地で行われていた電化や線形改良・軌道強化、81・82系気動車が性能面で急行形車両の55系気動車や58系気動車と大差がない、むしろ勾配線区ではより非力なことから開発された181系気動車などの集大成としてヨンサントオと言われる白紙ダイヤ改正を行った。これにより山陽・上越・北陸本線等で大幅な高速化が達成された。特に劇的だったのは電車化や全線東北本線経由に変更になったことから全区間で1時間54分も短縮された特急「はつかり」で、その表定速度は86.5 km/hにも達した(後のダイヤ改正で所要時間8時間15分へとさらに高速化され、国鉄在来線史上最速の表定速度89.2 km/hを記録することとなる)。 以上のように各地で目覚しい高速化が図られたヨンサントオ改正であるが、これ以後労使関係の悪化などが原因で最高速度向上の試みはJR化するまで表に出ることはなく、特急列車の一般化・大衆化に伴う停車駅数増加などで所要時間は全体的に増加する方向に向かう。
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