非電化
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 02:58 UTC 版)
非電化路線(ひでんかろせん)は、その路線を走行する列車の動力に電気を用いない、すなわち電化されていない鉄道路線のことである。
注釈
- ^ 電気方式の車上切替を行う交流直流両用車両は、直流専用あるいは交流専用車両に比べ、はるかに複雑かつ高価である。
出典
- ^ “新幹線開業で主役交代、在来線「長崎本線」の現状 引き続きJR九州が運営する区間の将来の姿は?”. 東洋経済オンライン (東洋経済新報社): p. 3. (2021年8月24日). オリジナルの2022年6月10日時点におけるアーカイブ。 2022年6月10日閲覧。
非電化区間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 16:19 UTC 版)
JR西日本が管轄している非電化区間では、定期列車は全て同社の気動車による運転である。 キハ120形(金沢総合車両所富山支所所属。車両自体は同支所の糸魚川運転派出に常駐)普通列車として1両編成または2両編成で運用されている。 キハ120 341(糸魚川駅 2010年3月25日)
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非電化区間
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以下はすべて気動車で、電化区間まで乗り入れたことがある。このほか、蒸気機関車・ディーゼル機関車も使用されていた(前節参照)。 キハ51形(普通列車) キハ52形(普通列車) キハユニ26形(普通列車として糸魚川駅 - 信濃大町駅間で運用) キハ55系(普通列車) キハ58系(急行列車や、末期は普通列車用として使用) JR西日本に残っていたキハ52形の定期運用は2010年3月13日のダイヤ改正で同社のキハ120形へ置き換えられた。前日まで運行されていた車両は、キハ52形 115、125、156号車の3両である。最後期は全車とも旧国鉄色に塗り替えられて定期運用についていた。115号車は2004年7月にクリーム4号+朱色4号の国鉄一般色に、156号車は2004年12月に朱色5号の首都圏色に、最後まで白地に緑のストライプの旧越美北線色で残っていた125号は2006年11月に青3号+黄かっ色2号の鉄道省色に変更され、同年12月2日から大糸線で運行していた。キハ52形3両のうち115号車はほかの2両とともに2010年3月20日から22日まで最後の3両編成運転を行った後、岡山支社で保存された。125号車と156号車は5・7・8月に臨時運転を行ったのち、125号車はいすみ鉄道へ売却された。156号車は廃車された後、糸魚川市に譲渡され静態保存されることになった。一時大糸線内でイベント列車として復活させる構想が発表されたが、最終的に当初予定通り糸魚川駅アルプス口駅舎1階の高架下施設「糸魚川ジオステーション ジオパル」に設けられる「キハ52展示待合室」にて静態保存する方針が決まり、2014年11月26日に搬入された。同年12月14日の北陸新幹線開業3か月前カウントダウンイベントでの一般公開を経て、2015年2月14日の「ジオパル」オープンにより常設公開が開始された。 国鉄一般色に復元されたJR西日本キハ52 115(南小谷駅 2007年3月24日) 大糸線色(旧越美北線色)のキハ52 125(糸魚川駅 1999年12月19日) 鉄道省色のキハ52 125(平岩駅付近 2008年9月1日) 大糸線色のキハ58 1124(南小谷駅 1989年3月22日) キハ58 1000(南小谷駅 1989年3月22日)
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