非電化時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 15:09 UTC 版)
1・2号蒸気機関車 ドイツ・コッペル製の8.5トン4輪連結タンク機関車。1913年(大正2年)9月9日付、監第1882号工事施行認可では4両の認可を得たが、1914年(大正3年)4月20日付、監第952号では2両の詳細設計認可を受け、開業時までに竣功した。1914年(大正3年)製のもので、1935年(昭和10年)頃に廃車。 3号蒸気機関車 1914年(大正3年)10月アメリカ・ボールドウィン製の11.6英トン6輪連結タンク機関車。1915年2月2日付、監第214号で詳細設計認可を受けた。1929年(昭和4年)に廃車、七尾セメントへ譲渡。 4号蒸気機関車 ドイツ・コッペル製の12トン6輪連結タンク機関車。1922年(大正11年)6月9日付、監第1142号で設計認可を受けた。1922年(大正11年)製造のもので、1929年(昭和4年)に廃車、七尾セメントへ譲渡。同社でも1959年(昭和34年)に用途廃止となった後、1977年(昭和52年)に工場内に留置されていた4号機をプレスアイゼンバーンの松本謙一と前里孝が購入した上で動態復元、同年8月に大井川鉄道(当時)の動態保存機に加わった。同社では「いずも」という愛称が付けられ、主に井川線千頭駅 - 川根両国駅間の小運転に使用された。1984年(昭和59年)には運転台の屋根を切り詰めた上、同線の客車を牽引して井川駅まで乗り入れた。動態保存終了後は大井川鐵道大井川本線新金谷駅にある「プラザロコ」にて静態保存されている。 ハブ1 - 13号客車 名古屋電車製造所製の木造デッキ付貫通式4輪客車。定員は40人。工事施行認可では10両の認可を受け、1914年(大正3年)4月20日付、監第952号詳細設計認可では6両分の認可を受けた。この6両については開業時までに竣功した。残る4両の詳細設計認可は不明だが、1914年(大正3年)12月17日付、庶第186号車両増減御届で工事施行認可の10両を9両に変更した。2両を下記の荷物合造客車に改造したため1両の増加である。さらに、1922年(大正11年)10月28日、庶第85号増加届で1914年(大正3年)4月20日付、監第952号認可と同一設計の4両を増備し、最終的に非電化時代の客車は13両が存在した。全車、電化後の1928年(昭和3年)6月8日付、監第1816号減少認可で廃車された。 ハニ1・2号荷物合造客車 名古屋電車製造所製の木造デッキ付貫通式4輪荷物合造緩急客車。定員は20人、荷物の荷重は2トン。開業時には存在せず後日上記の客車2両を改造したもので、1915年(大正4年)3月3日付、監第486号で認可を受けた。2両共電化後の1928年(昭和3年)6月8日付、監第1816号減少認可で廃車された。 ワ1 - 4号有蓋貨車 1914年3月名古屋電車製造所製の4トン積み有蓋貨車。工事施行認可時には4両分の認可を受けたが、1914年(大正3年)4月20日付、監第952号詳細設計認可では2両分となり、開業時までに2両が竣功した。残る2両の詳細設計認可は不明だが、最終的に1914年(大正3年)3月名古屋電車製造所製の車両が4両存在した。全車、1928年(昭和3年)2月17日付、監第475号減少認可で廃車された。 ワフ1号有蓋緩急貨車 1922年(大正11年)9月名古屋電車製造所製の5トン積み有蓋緩急貨車。1923年(大正12年)3月6日、監第428号で設計認可を受けた。全車、1928年(昭和3年)2月17日付、監第475号減少認可で廃車された。 ト1 - 4号無蓋貨車 1914年(大正3年)3月名古屋電車製造所製の4トン積み無蓋貨車。工事施行認可時には4両分の認可を受けたが、1914年(大正3年)4月20日付、監第952号詳細設計認可では2両分となり、開業時までに2両が竣功した。残る2両の詳細設計認可は不明だが、最終的に1914年(大正3年)3月名古屋電車製造所製の車両が4両存在した。全車、1928年(昭和3年)2月17日付、監第475号減少認可で廃車された。
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