一畑軽便鉄道時代とは? わかりやすく解説

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一畑軽便鉄道時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 15:09 UTC 版)

一畑電車」の記事における「一畑軽便鉄道時代」の解説

一畑軽便鉄道最初免許区間である出雲今市駅(現・電鉄出雲市駅) - 一畑駅間の工事当たっては、一畑軽便鉄道蒸気機関車4両、客車10両、有蓋貨車6両および無蓋貨車4両を使用するものとして認可申請し内閣総理大臣から1913年大正2年9月9日付で工事施行認可受けた。 ただし、一畑軽便鉄道認可申請時に示した設計簡単なもので、そのため「其構造等詳細目下考研中にあり追て認可申請するものとす」としていた。 実際に1914年大正3年4月20日付で詳細な設計認可受けたが、この際には蒸気機関車2両、客車6両、有蓋貨車2両および無蓋貨車2両に両数減らされ同年同月29日出雲今市駅(現・電鉄出雲市駅) - 雲州平田駅間の部分開業時までに竣功したのはこの両数だった。 1915年大正4年2月4日には雲州平田駅 - 小境灘駅(現・一畑口駅) - 一畑駅間が開業免許および工事施行認可区間全通した。この3か月前にあたる1914年大正3年12月17日付では、客車2両を荷物合造客車改造するとともに工事施行認可時の車両数客車10両だったものを1両増加、2両を前述通り荷物合造客車改造し差し引き9両に、有蓋貨車は6両から2両減少し4両とする旨、届出提出した。なお、改造については認可事項のため内閣総理大臣届出書認可申請書みなして認可したまた、蒸気機関車について別途1915年大正4年2月2日付で1両の詳細設計認可受けたその後乗客増加により1922年大正11年6月9日付で蒸気機関車1両の設計認可得て同年11月20日付で竣功届を提出客車についても同年10月28日付で4両の増加届を提出したほか、翌1923年大正12年3月6日付設認可有蓋緩急貨車を1両追加した。これにより非電化時代には最終的に蒸気機関車4両、客車9両、荷物合造客車2両、有蓋貨車4両、有蓋緩急貨車1両および無蓋貨車4両の体制となった

※この「一畑軽便鉄道時代」の解説は、「一畑電車」の解説の一部です。
「一畑軽便鉄道時代」を含む「一畑電車」の記事については、「一畑電車」の概要を参照ください。

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