一畑軽便鉄道時代
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一畑軽便鉄道の最初の免許区間である出雲今市駅(現・電鉄出雲市駅) - 一畑駅間の工事に当たっては、一畑軽便鉄道は蒸気機関車4両、客車10両、有蓋貨車6両および無蓋貨車4両を使用するものとして認可申請し、内閣総理大臣から1913年(大正2年)9月9日付で工事施行認可を受けた。 ただし、一畑軽便鉄道が認可申請時に示した設計は簡単なもので、そのため「其構造等の詳細は目下考研中にあり追て認可を申請するものとす」としていた。 実際に、1914年(大正3年)4月20日付で詳細な設計の認可を受けたが、この際には蒸気機関車2両、客車6両、有蓋貨車2両および無蓋貨車2両に両数が減らされ、同年同月29日の出雲今市駅(現・電鉄出雲市駅) - 雲州平田駅間の部分開業時までに竣功したのはこの両数だった。 1915年(大正4年)2月4日には雲州平田駅 - 小境灘駅(現・一畑口駅) - 一畑駅間が開業、免許および工事施行認可区間が全通した。この3か月前にあたる1914年(大正3年)12月17日付では、客車2両を荷物合造客車に改造するとともに、工事施行認可時の車両数を客車は10両だったものを1両増加、2両を前述の通り荷物合造客車に改造し差し引き9両に、有蓋貨車は6両から2両減少し4両とする旨、届出を提出した。なお、改造については認可事項のため内閣総理大臣は届出書を認可申請書とみなして認可した。また、蒸気機関車についても別途1915年(大正4年)2月2日付で1両の詳細設計認可を受けた。 その後、乗客の増加により1922年(大正11年)6月9日付で蒸気機関車1両の設計認可を得て、同年11月20日付で竣功届を提出。客車についても同年10月28日付で4両の増加届を提出したほか、翌1923年(大正12年)3月6日付設計認可で有蓋緩急貨車を1両追加した。これにより非電化時代には最終的に蒸気機関車4両、客車9両、荷物合造客車2両、有蓋貨車4両、有蓋緩急貨車1両および無蓋貨車4両の体制となった。
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