軌間762mm・非電化時代
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「上信電鉄」の記事における「軌間762mm・非電化時代」の解説
蒸気機関車 すべてタンク機関車であった。開業時に3両が導入されたことに始まり、最終的には8両が在籍した。1 - 3号機1896年(明治29年)英国・カー・スチュアート(英語版)社製。車軸配置はB1。 4号機1895年(明治28年)ドイツ・クラウス社製。車軸配置はB。 5号機1900年(明治33年)アメリカ・ポーター社製。車軸配置はB。サドルタンクの上にそれより大きな木製のキャブ(運転室)を背負った特徴的な外観から「亀の子」と呼ばれて親しまれた。 6号機1900年(明治33年)4号機と同じくクラウス社製。車軸配置はB。 7・8号機1916年(大正5年)大日本軌道鉄工部製。車軸配置はB。 貨車・客車 いずれも詳細は不明であるが、貨車1両あたりの平均積載量は3.4トン、客車1両あたりの平均座席定員は21.6人であった。改軌・電化直前の1920年(大正10年)には貨車が100両、客車が24両在籍した。
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