大井川鐵道
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大井川鐵道株式会社(おおいがわてつどう)は、静岡県島田市に本拠を置き、大井川流域を基盤とする鉄道事業を主たる業務とする陸運業や観光業[6]を営む企業である。大井川本線と井川線の2つの鉄道路線を運営している[1]。略称は大鉄[注 1](だいてつ)。
注釈
- ^ 大井川鐵道への改称後も、公式には新字体の「大鉄」表記が使用されている[7]。
- ^ かつて沿線に存在した製材所などの引込線があった側線で、「リバーサイド線」の愛称がのちに付けられていた。のちに千頭駅周辺の道路拡幅工事に伴い廃止されている。
- ^ のちに井川駅 - 堂平駅間でSL牽引による遊覧列車(ミニSL列車)の計画が持ち上がり、井川線規格の車両限界に合わせてキャブ(運転室)と煙突を切り詰めた「いずも号」と客車が入線したことがあるが、実現には至らなかった。
- ^ a b 2013年(平成25年)10月19日改正施行ダイヤ[14]。
- ^ ダイヤ改正後の井川線における運転本数に関しては、2014年(平成26年)2月19日時点において、大井川鐵道Webサイト上では「ただいま調整しております」としていたが[15]、『中日新聞』では既に「上下線で現行1日各4本と一部折り返しを、各3本と一部折り返しに減らす」と報じていた[13]。
- ^ 北海道日高郡新ひだか町に本社を置き、同町内で「静内エクリプスホテル」を経営。外部リンク参照。
- ^ 2022年(令和4年)2月時点で大井川鐵道は「(C56形で)走行している車両はない」としている[29]。
- ^ バス運転手の運転距離制限が強化されたことで、都内からのバスツアーを運転手1人乗務で催行する場合において、SL乗車を行程に組み込むことが難しくなった。
出典
- ^ a b 概要・沿革 - 大井川鐵道(2020年2月24日閲覧)
- ^ 大井川鐵道・ロケーションサービス(2020年2月24日閲覧)
- ^ a b c 鉄道統計年報平成29年度版 - 国土交通省
- ^ a b c 大井川鉄道株式会社 第42期決算公告
- ^ 国土交通省鉄道局監修『鉄道要覧』令和元年度版、電気車研究会・鉄道図書刊行会
- ^ a b 「大井川鉄道 ツアー快走、魅力満載 5年で席数6倍/富士山遊覧やダム見学、地元企業とコラボ進む」『日本経済新聞』朝刊2020年1月18日(静岡経済面)2020年2月16日閲覧
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- ^ a b 「大井川鉄道、再生軌道に/トーマス・観光両輪 家族客・外国人ら注目」『日本経済新聞』朝刊2019年6月29日(静岡経済面)2020年2月24日閲覧
- ^ a b c 「大井川鉄道、本線運行4割減。3月26日から」『日本経済新聞』2014年2月3日。2014年2月19日閲覧。オリジナルの2014年2月19日時点におけるアーカイブ。
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- ^ “平成26年3月26日時刻改正に伴う列車運転本数について”. 大井川鐵道トピックス. 大井川鐵道 (2014年2月7日). 2014年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年6月12日閲覧。
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- ^ “大井川鉄道に新社長就任 「トーマス頼み」脱却へ駅で地元野菜販売も”. 産経新聞. 産経ニュース (産経新聞社). (2015年9月1日). オリジナルの2015年9月4日時点におけるアーカイブ。 2018年4月22日閲覧。
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- ^ 大井川鐵道井川線沿線の地域活性化に向けたツアーを実施〜通常公開していない施設を特別にご案内します〜 - 中部電力(2019年12月6日)2019年12月8日閲覧
- ^ 鉄道・バスフリーきっぷと川根温泉ホテル宿泊がセットになったお得なプランが登場!大井川鐵道(2020年7月22日)2020年9月18日閲覧
- ^ UNMANNED 無人駅の芸術祭/大井川(2020年2月24日閲覧)
- ^ “大鉄35年ぶり新駅「門出」、11月開業 体験型フードパークも”. 静岡新聞. (2020年9月25日) 2020年12月27日閲覧。
- ^ “島田の複合施設「KADODE」開業 大井川鉄道新駅「門出」も”. 静岡新聞. (2020年11月12日) 2020年12月27日閲覧。
- ^ 「大井川鉄道、鳥塚氏が社長に 現えちごトキめき鉄道社長」『日本経済新聞』2024年6月12日。2024年6月12日閲覧。
- ^ 『増補資料 静岡県榛原郡誌』静岡県榛原郡町村会、1973年11月3日、431 - 432頁。
- ^ 『写真で綴る静岡鉄道70年の歩み』静岡鉄道株式会社、1989年4月、163頁。
- ^ “厚紙きっぷで東京まで JR線への乗車券に昔ながらの硬券復活 大井川鐵道”. 乗りものニュース (2016年3月11日). 2019年12月14日閲覧。
- ^ “大井川鉄道〔ママ〕「C56形」135号機搬入、復活目指す”. 静岡新聞 (静岡新聞社). (2022年2月12日) 2022年6月29日閲覧。
- ^ 客車略図形式1005
- ^ 客車略図形式3012
- ^ 沖田祐作『機関車表』ネコ・パブリッシング、2014年。ISBN 9784777053629。
- ^ “日本初の鋼製貨車「ト20000形」復活へ 来月、福井の敦賀で公開”. 産経新聞 (産経新聞社). (2016年9月18日) 2022年6月29日閲覧。
- ^ 島根県立古代出雲歴史博物館編集『BATADEN 一畑電車百年ものがたり』p.20
- ^ a b c ネコ・パブリッシング『私鉄の車両14 大井川鉄道』p.92
- ^ a b ネコ・パブリッシング『RM LIBRARY 96 大井川鐵道井川線』p.27
- ^ 大井川鐵道 サイト内 “プラザロコ施設ご案内”. 2010年11月25日閲覧。
- ^ 大鉄アドバンス・会社案内(2019年12月8日閲覧)
- ^ 「4月から町営バスが変わります」『広報かわねほんちょう』(PDF)2019年3月号、川根本町、10頁 。2023年2月14日閲覧。
- ^ a b 崖っ縁大井川鉄道は生き延びられるか(上)「トーマス列車」鉄道会社が赤字に陥ったワケ - 東洋経済オンライン(2015年6月17日)2019年12月8日閲覧
- ^ 歡迎光臨阿里山森林鐵道 [リンク切れ]
- 1 大井川鐵道とは
- 2 大井川鐵道の概要
- 3 鉄道路線
- 4 イベント
大井川鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/18 14:41 UTC 版)
「愛知電気鉄道デハ3300形電車」の記事における「大井川鉄道」の解説
大井川鉄道ではモ3300形とモ3350形が1両ずつ投入され、足回りの国鉄型への交換が行われたうえで、モ3350形は電装が外されてそれぞれモ302形・ク508形とされた。その際、前面の貫通扉が埋められている。大井川本線で運用され、同社の有料急行「すまた」号にも使用されたが、1980年に後継車両投入で廃車となった。
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大井川鉄道(後の大井川鐵道)
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「銀河鉄道999」の記事における「大井川鉄道(後の大井川鐵道)」の解説
1997年(平成9年)9月6日「平成9年9月9日」の「9並び」の日を記念して、大井川鉄道で銀河鉄道999記念「夜行SL列車」が走った。9月9日が平日になるため、やむなく9月6日に走らせたもの。当日C56 44+C11 227の重連で運転し、その上り列車がC56 44牽引の夜行列車。「999」のヘッドマークをつけての転車台撮影もあり、このときの帰りの夜行は会員制のビール列車として運行された。
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大井川鉄道
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詳細は「大井川鉄道310系電車」を参照 .mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 3800系クハ2822 クハ861(元クハ510) クハ861の車内 1970年に3805編成が譲渡され、310系モハ310-クハ510として導入された。同編成は導入に際して名鉄鳴海工場において客用扉間の座席を転換クロスシートに改装した上で譲渡され、主に急行列車運用に充当された。 次いで1972年には7300系への主要機器供出によって廃車となった3822編成・3829編成の車体が譲渡された。同2編成の車体は大井川鉄道保有の旧型車などの主要機器と組み合わされ、3800系モハ3822-クハ2822・モハ3829-クハ2829と名鉄在籍当時の形式・車両番号のまま導入された。なお、同2編成は名鉄3800系2次車のうち唯一の他社譲渡例である。 310系クハ510は1986年(昭和61年)に車体をオープン構造に大改造し、納涼展望電車クハ86形861となった。クハ510の納涼展望電車化によって編成相手を失ったモハ310は1992年(平成4年)3月に廃車となり、その他3829編成は1988年(昭和63年)に客用扉間の座席を名鉄7000系の廃車発生品を流用して転換クロスシート仕様に改装した。 その後の後継形式の導入により、経年による老朽化が進行した3800系は3822編成が1997年(平成9年)6月に、3829編成が1998年(平成10年)12月にそれぞれ廃車となった。さらに末期は稼動機会がなく休車状態であったクハ861についても1999年(平成11年)3月に廃車となり、大井川鉄道へ譲渡された3800系は全廃となった。
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大井川鉄道
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「国鉄2950形蒸気機関車」の記事における「大井川鉄道」の解説
大井川鉄道初の自社発注機で、1929年9月に1両(製造番号 348)が製造された自重45.5tの機関車である。大井川鉄道では15と称し、空気ブレーキを製造時より備えていた。大井川本線電化後の1950年(昭和25年)に、大阪窯業セメント近江長岡工場(のちの大阪セメント近江長岡工場)へ譲渡され、さらに東洋レーヨン(現・東レ)滋賀工場へ移った。
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大井川鉄道
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「西武モハ550形電車」の記事における「大井川鉄道」の解説
1964年(昭和39年)にモハ159・モハ160の2両が譲渡され、モハ300形307-クハ500形507の2両編成となった。譲渡に際し、モハ160は電装解除されている。1980年(昭和55年)廃車。
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大井川鉄道
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1978年(昭和53年)にサハ1515・1516の2両が大井川鉄道へ譲渡された。同2両は客車へ改造され、サハ1516はお座敷客車(ナロ80形)へ、サハ1515は展望客車(スイテ82形)へそれぞれ大改造を受けて竣工した。 2010年(平成22年)9月現在、本系列で唯一車籍を有する現役車両であるものの、前述のように大改造が施工されているため原形はほとんど残っていない。 詳細は「大井川鉄道スイテ82形客車」を参照
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大井川鉄道
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1986年(昭和61年)に電車を改造したトロッコ車両(クハ861)が存在したが、使い勝手の悪さから長期休車を経て1998年(平成10年)に廃車となった。
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大井川鉄道
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1977年(昭和52年)3月に前述のクモハ365+サハ1426+クモハ366が、1980年8月にはクモハ361+クモハ362が譲渡された。入線に際しては西武所沢車両工場において2扉化および西武5000系レッドアローの発生品を流用して扉間の座席をクロスシート化し、さらにクモハ361・365の電装解除が施工されている。旧番対象は以下のとおり。 クモハ365 → クハ512 サハ1426 → サハ1426(変更なし) クモハ366 → モハ312 クモハ361 → クハ513 クモハ362 → モハ313 クモハ365+サハ1426+クモハ366は、1977年4月27日付でモハ312+サハ1426+クハ512(312系 312編成)として竣工し、クモハ361+クモハ362は、1980年8月28日付でモハ313+クハ513(312系 313編成)として竣工した。しかし312編成は3両固定編成で、運用上都合が悪く、後年にサハ1426が編成から外され、313編成と同じ2両編成となった。編成から外されたサハ1426は長期間休車となったのち、1985年にお座敷客車ナロ80 2に改造されている。 残る4両は長らく主力車両として運用されたが、2002年(平成14年)2月27日に312編成が家山駅構内で脱線事故を起こし、翌28日から休車となった。事故そのものの規模や被害は極めて小さいものであったが、同編成は元より老朽化が激しかったこともあって復旧されることなく、同年10月18日付で廃車となったのち、解体処分された。313編成も後を追う形で休車となり、長らく千頭駅構内に留置されたが、のちには新金谷駅構外側線へ移動。2016年(平成28年)7月に廃車となり、同月7日に解体された。 モハ312(元クモハ366)(1998年8月) モハ313(元クモハ362)。(2001年1月26日) サハ1426から改造されたナロ80 2。(2001年1月26日)
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大井川鉄道
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「西武クハ1411形電車」の記事における「大井川鉄道」の解説
1977年(昭和52年)3月にサハ1426が、351系クモハ365・366とともに譲渡された。同3両は西武在籍当時より編成を組んでいたもので、導入に際しては中央扉を埋めて2扉化されたほか、5000系レッドアローの車内更新に伴って発生したクロスシートを流用し、扉間座席をクロスシートとしたセミクロスシート仕様に車内を改装されている。なお、車番は西武在籍当時同様、サハ1426を称した。 導入後は312形312編成の中間車として運用されたが、3両固定編成は運用上都合が悪かったことから、312編成から外されて長期間休車となったのち、1985年(昭和60年)にお座敷客車ナロ80 2に改造されている。 同車は本形式中唯一現存する車両であるものの、お座敷客車化に際して大改造が施工されているため原形はほとんど残っていない。 詳細は「大井川鉄道スイテ82形客車」を参照
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大井川鐵道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:24 UTC 版)
「動態保存中の蒸気機関車」の記事における「大井川鐵道」の解説
C10 8 C11 190 C11 227 C56 44 先述のとおり日本のSL動態保存のパイオニアであり、最盛期には8両の動態保存機を有していた。その後運用の都合や資金難から3両が静態保存に移行している。また、他社が現役時代そのままの外観を維持している中、SLに対しアニメーション作品とコラボした派手な装飾を行っていることも特筆される。 C10 8 - 「かわね路号」1997年(平成9年)に動態復元。C10形としては唯一の保存機。 C11 190 - 「かわね路号」「きかんしゃトーマス号」2003年(平成15年)にお召し仕様で動態復元。一時期、通常仕様での運転も行った。 C11 227 - 「かわね路号」「きかんしゃトーマス号」日本最初の営業用動態保存機。 C56 44 - 「かわね路号」「きかんしゃジェームス号」1980年(昭和55年)に動態復元。ボイラー老朽化により2003年(平成15年)12月17日付で休車となったが、部品取り機であったC12 208とボイラーを交換の上、2007年(平成19年)10月7日に保存運転再開。しかし不具合のため、2019年(令和元年)9月2日からは再び休車となっている。また、同年12月で検査切れとなったことや、2022年(令和4年)にC56 135が入線したことから、今後の動向が注目される。
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大井川鐵道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 06:24 UTC 版)
「動態保存中の蒸気機関車」の記事における「大井川鐵道」の解説
1275(静態保存化後) 1(静態保存化後) C11 312 C12 164(静態保存化後) 1275形 - ミニSL1971年(昭和46年)に日本ステンレス(現・住友金属工業)から購入。同年11月14日に千頭 - 川根両国間のミニSL列車の牽引機として保存運転を開始。一時、テレビドラマのロケ用として伊予鉄道1号機に似せて改装されたが、のちに復旧した。1989年(平成元年)11月26日をもって保存運転を終了。その後は千頭駅構内で静態保存されていたが、1997年(平成9年)4月29日に新金谷駅前の「プラザロコ」へ移された。 1号 - ミニSL1977年(昭和52年)に住友セメント(現・住友大阪セメント)から購入。同年10月7日に千頭 - 川根両国間のミニSL列車の牽引機として保存運転を開始。1275形と同様に、1989年(平成元年)11月26日をもって保存運転を終了。その後、「プラザロコ」へ移された。 C11 312 - 「かわね路号」1988年(昭和63年)に動態復元。老朽化により、2007年(平成19年)9月8日のさよなら運転をもって保存運転を終了。翌9日付で除籍の上、静態保存機となった。それ以降は新金谷駅構外側線に留置され、他のSLの部品取り機として活用されていた。しかし、2019年(令和元年)10月ごろより修復工事を受け、現在は交流施設「KADODE OOIGAWA」で静態保存展示されている。 C12 164 - 「トラストトレイン」所属会社は大井川鐵道だが、所有は日本ナショナルトラストである。ATS未設置により、2005年(平成17年)4月23日の「トラストトレイン」をもって保存運転を終了。翌24日以降は休車となったが、資金の目処がつかず静態保存に移行した(長期休車となり車籍は残存)。2011年(平成23年)10月7日以降は新金谷駅構内の転車台上で展示されている。その後、運転再開に向けた整備を行う方針であることが2016年(平成28年)9月に発表された。
※この「大井川鐵道」の解説は、「動態保存中の蒸気機関車」の解説の一部です。
「大井川鐵道」を含む「動態保存中の蒸気機関車」の記事については、「動態保存中の蒸気機関車」の概要を参照ください。
大井川鐵道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 22:26 UTC 版)
2014年6月、廃止となった十和田観光電鉄から2両の譲渡を受けた。運行開始時期は2014年の冬を予定していたが、諸事情で約2ヶ月遅れ、2015年2月23日からの運行開始となった。運行開始以降2両編成での運用が続いていたが、2019年6月より全線での単行運転を開始した。
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大井川鐵道
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「きかんしゃトーマス」の記事における「大井川鐵道」の解説
英国で20年以上開催されている「Day out with Thomas」の日本版として、大井川鐵道では青色車体塗装を施したC11形227号機の前面にトーマスの顔を装着する「きかんしゃトーマス号」をイベント列車として定期的に運行している。初運行は2014年7月12日から10月13日まで行われた。本線用の蒸気機関車を使用した「きかんしゃトーマス号」は世界各地にも存在しているが、アジアエリアにおいては日本が初めての運行となった。イベント列車に先立つ2014年3月22日より千頭駅構内で静態保存している9600形49616号機に「ヒロ」の顔を施して展示された他、同4月26日より大井川鐵道が保有する近鉄16000系16003Fをトーマス号PRラッピング電車として運用開始させた。 「かわね路号#きかんしゃトーマス号・ジェームス号」を参照 ライセンス契約上では2016年まで有効となっているが2019年も運行が決定している。2015年6月7日からは「きかんしゃトーマス号」のほか新たに赤色車体塗装を施したC56形44号機による「きかんしゃジェームス号」も導入され、千頭駅構内の静態保存として「パーシー」(C12形208号機)が追加された。2016年も6月11日から運行され、「バスのバーティー」(赤色車体塗装の日野・ポンチョ)、「ラスティー」、「いたずら貨車」「いじわる貨車」が追加された。2018年6月には保線用自転車を改造したレール検測車「ウィンストン」を導入、2019年7月には新金谷車両整備工場に軌陸車フリンを導入。
※この「大井川鐵道」の解説は、「きかんしゃトーマス」の解説の一部です。
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大井川鐵道
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「かわね路号」用として8両が譲渡された。オハフ33 215・469、オハ35 149は1976年(昭和51年)に、オハ35 435は1978年(昭和53年)に、オハ35 22・459は1980年(昭和55年)に、オハ35 559・857は1981年(昭和56年)にそれぞれ譲渡された。これらのうち2016年(平成28年)に廃車となったオハ35 857以外は、現在も使用されている。
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大井川鐵道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 04:12 UTC 版)
単式ホーム1面1線を有する地上駅。JR東海の上りホームに隣接しており、連絡改札口(TOICA対応簡易型自動改札機のみ)がある。ホームが短いため、おおよそ4両より長い編成の場合ドアカットを行う。駅舎はJR東海とは別。駅舎内に売店がある。窓口の営業時間は6:30 - 16:55。かつては機回し線があったが、撤去されている。なお大井川鐵道が貨物営業を行っていた当時、同駅の構内入れ換えおよび貨車の収受は国鉄の機関車ではなく、大井川鐵道の機関車が請け負っていた。
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大井川鐵道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 00:44 UTC 版)
大井川本線では千頭方面を奇数、金谷方面を偶数として付番する。各々の番台の列車の始発時刻が早い順に付番していく。 0番台 - 30番台 …金谷 - 千頭間の普通列車(千頭行きが1番から、金谷行きが2番から付番)。 80番台 …金谷 - 新金谷間の普通列車(新金谷行きが81番から金谷行きが82番から付番)。 100番台、1000番台 …SL急行。 井川線では井川方面を奇数、千頭方面を偶数として付番する。 130番台 …千頭 - 奥泉間の普通列車(奥泉行きが131番、千頭行きが132番)。 200番台 …千頭 - 井川間の普通列車(井川行きが201番から、千頭行きが202番から付番)。 400番台 …千頭 - 接岨峡温泉間の普通列車(接岨峡温泉行きが403番、千頭行きが402番)。
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