ミヤコ地下街とは? わかりやすく解説

ミヤコ地下街

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/06 02:43 UTC 版)

ミヤコ地下街
ミヤコ地下街入口
地図
店舗概要
所在地 450-0002
愛知県名古屋市中村区名駅
開業日 1963年昭和38年)9月21日[1][2]
施設所有者 名鉄産業
施設管理者 名鉄産業
延床面積 3,609 m²[3]
商業施設面積 1,059 m²[3]
店舗数 21店
最寄駅 名古屋駅
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ミヤコ地下街(ミヤコちかがい)は、名古屋駅周辺に存在する地下街の一つ。名駅通との交差点から東へ向かうようにして、錦通の真下に設けられている。

概要

東端にセンチュリー豊田ビルがあり、西端ではキタチカ(旧 新名フード)、サンロードおよびフードターミナル(連絡街)と接する。地下街全体が錦通地下に所在し、地下街の下には地下鉄東山線が走っている。

1963年昭和38年)9月21日近鉄グループに属する名古屋都ホテルが開業した際に、各路線の名古屋駅から都ホテルへの連絡する形で開設された[2]。地下街の名前は都ホテルにちなんでのものである[4]

の開設の目的もあり地下街の運営は近鉄グループが行ってきたが、2000年平成12年)に名古屋都ホテルが撤退した[要出典][注 1] ことから近鉄グループとしては地下街を保有する意義を失ったため、2003年(平成15年)に地下街を三井不動産へ売却、[要出典]その後名古屋鉄道子会社の名鉄産業が取得し、2018年(平成30年)現在では同社が管理を行っている[3][5][リンク切れ]三井不動産の買収当時、ミヤコ地下街の南側でモード学園スパイラルタワーズ2008年(平成20年)完成)を建設中であり、それと一体化する形で周囲の発展を目指す目論見があったとされている。[要出典]

脚注

注釈

  1. ^ 名古屋都ホテルの跡地には、2002年(平成14年)にセンチュリー豊田ビルが建設された。[要出典]

出典

  1. ^ ミヤコ地下街 - インフォメーション” (2009年7月). 2013年3月11日閲覧。
  2. ^ a b 『中部要覧 愛知・岐阜・三重県 1964年版』 中部経済新聞社、1964年6月10日。pp188
  3. ^ a b c 地下街について(事業向け情報)”. 住宅都市局都市計画部街路計画課. 名古屋市 (2018年3月26日). 2018年3月28日閲覧。
  4. ^ 名古屋駅地区 地下街マップ”. 名古屋駅地区街づくり協議会. 2017年3月20日閲覧。
  5. ^ 名鉄、名駅の地下街「ミヤコ地下街」を取得”. 中部経済新聞 (2018年3月21日). 2018年3月28日閲覧。

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