富士身延鉄道
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「国鉄3030形蒸気機関車」の記事における「富士身延鉄道」の解説
富士身延鉄道へは、4次にわたって7両が導入された。その状況は次のとおりである。 1914年(1両。製造番号41474) : 4(4形) → 10(10形) 1916年(2両。製造番号45244, 45245) : 12, 13 1917年(2両。製造番号46765, 46766) : 14, 11 1920年(2両。製造番号53830, 53831) : 15, 16 富士身延鉄道は1938年(昭和13年)に国有鉄道が借り上げ営業するようになり、この7両の蒸気機関車もその時点で全車が健在であったが、1941年(昭和16年)正式買収までの間にすべて処分され、国有鉄道籍となったものはなかった。 廃車は、貸し渡し直後の1938年5月から始まり、12, 14は同年5月、11, 15が11月に除籍されている。このうち12, 14は、ブローカーの手を通じて東北パルプに払下げられ、12は石巻工場、14は秋田工場の専用線で使用された。11, 15についてもブローカーの手に渡ったが、それ以後の消息は定かでない。 残りの10, 13, 16については、1939年(昭和14年)5月に老朽廃車された。そのうち状態が一番良かった13は、陸軍に売却され、1m軌間に改造のうえ中国に送られ、正太線、同浦線で使用されたようである。
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富士身延鉄道
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1890年(明治23年)6月26日:富士馬車鉄道が東海道線鈴川(現在の吉原駅) - 大宮間に馬車鉄道を開業。 1897年(明治30年):富士川電気鉄道設立、富士 - 甲府間に免許取得するも日清戦争後の不景気で資本金不足のまま免許失効し、会社解散。 1908年(明治41年):富士馬車鉄道が富士鉄道に改称。 1910年(明治43年)4月17日:富士鉄道が富士 - 長沢間の支線を開業。 1911年(明治44年):甲府財界を中心としたグループに富士 - 甲府間の免許。 1912年(明治45年)4月26日:富士身延鉄道設立。富士鉄道から路線を譲受。 1913年(大正2年)7月20日:富士 - 長沢間、入山瀬 - 大宮間の馬車鉄道を廃止し、富士 - 大宮町間の蒸気鉄道(6.4M≒10.30km)が開業。入山瀬駅・富士根駅・大宮町駅(現在の富士宮駅)が開業。 9月20日:貨物駅として源道寺駅が開業。 1915年(大正4年)3月1日:大宮町駅 - 芝川駅間(5.3M≒8.53km)が延伸開業。芝川駅が開業。 1918年(大正7年)月日不明:馬車鉄道の鈴川 - 長沢 - 入山瀬間が根方軌道に譲渡。 8月10日:芝川駅 - 十島停留場間(4.4M≒7.08km)が延伸開業。十島停留場が開業。 10月8日:十島停留場 - 内船南部間(4.9M≒7.89km)が延伸開業。内船南部駅(現在の内船駅)が開業。 1919年(大正8年)4月8日:内船南部駅 - 甲斐大島駅間(3.5M≒5.63km)が延伸開業。甲斐大島駅が開業。 1920年(大正9年)5月18日:甲斐大島駅 - 身延駅間(2.4M≒3.86km)が延伸開業。身延駅が開業。 1924年(大正13年)7月6日:根方軌道線が廃止。 1926年(大正15年)電化が決定し、この年11月から全線で電化工事が並行して実施。 3月8日:竪堀停留場が開業。 9月1日:大宮町内で運行されていた馬車鉄道が全廃。 1927年(昭和2年)6月20日:富士駅 - 身延駅間が電化され、電車運転開始。以後は開通時から電化。 7月15日:大宮西町駅(現在の西富士宮駅)が開業。 11月5日:竪堀停留場が駅に変更。 12月17日:身延駅 - 市川大門駅間(16.4M≒26.39km)が延伸開業。甲斐下山駅(現在の波高島駅)・下部駅(現在の下部温泉駅)・甲斐常葉駅・久那土駅・甲斐岩間駅・鰍沢黒沢駅(現在の鰍沢口駅)・市川大門駅が開業。 1928年(昭和3年)3月30日:市川大門駅 - 甲府駅間(11.4M≒18.35km)が延伸開業し全通。当時の所要時間は甲府駅 - 富士駅間3時間。甲斐上野駅・東花輪駅・西条常永駅(現在の常永駅)・国母駅・甲府南口駅・善光寺停留場が開業。 1929年(昭和4年)2月11日:芦川停留場が開業。 3月10日:沼久保停留場が開業。 3月26日:井出福士停留場(現在の井出駅)が開業。 8月15日:稲子駅・小井川停留場・金手停留場が開業。 12月28日:貨物駅として井出側線駅が開業。 1930年(昭和5年)月日不明:甲斐下山駅が下山波高島駅に改称。 4月1日:営業距離の単位をマイルからメートルに変更(全線 54.7M→88.1km)。 6月1日:落居停留場が開業。 10月1日:市川本町停留場が開業。 12月25日:源道寺駅が廃止。源道寺停留場が開業。 1931年(昭和6年)4月1日:甲府住吉停留場(現在の甲斐住吉駅)が開業。 9月20日:井出側線駅が井出福士側線駅に改称。 11月1日:寄畑停留場が開業。 12月1日:井出福士側線駅が第二井出福士駅に改称。 1932年(昭和7年)5月10日:市ノ瀬停留場が開業。 1933年(昭和8年)9月1日:塩之沢停留場が開業。 1934年(昭和9年)6月1日:塩之沢停留場が駅に変更。 7月1日:本市場停留場(現在の柚木駅)が開業。 1936年(昭和11年)6月22日認可:十島停留場・井出福士停留場が駅に変更。第二井出福士駅が井出福士駅に統合される。
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