免許失効
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 18:37 UTC 版)
このような対立の中で工事は進まず、また岡田耕平が社長を辞任してからそれに次ぐ社長がいないという事態となる。1916年(大正5年)9月29日、一年間の期間延長を申請。認められたものの結局工事は進まず、1917年(大正6年)11月17日に再度一年間の期間延長を申請。これも期間を半年に短縮されたが認められた。1918年(大正7年)4月11日、東京日日新聞が両派の和解を報道。短期間の内に完成するとして政府を煽り立て、同年5月1日に3度目の期間延長を願い出た。しかし5月8日、政府が却下し免許が失効されてしまい、船橋鉄道は挫折した。 船橋鉄道は、線路用地の代金を支払わずに工事を始めていたため、その後沿線の18名の地主は東京地裁へ損害賠償請求の訴訟を起こす。 この船橋鉄道に代わって、政治家達により北総鉄道(東武野田線の前身。1972年設立の北総鉄道とは別)を実現させてゆくこととなった。
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