井川村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 14:27 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動いかわむら 井川村 |
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廃止日 | 1969年1月1日 |
廃止理由 | 編入合併 井川村、大河内村、梅ヶ島村、玉川村、清沢村、大川村→旧静岡市 |
現在の自治体 | 静岡市 |
廃止時点のデータ | |
国 | ![]() |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 静岡県 |
郡 | 安倍郡 |
市町村コード | なし[1] |
面積 | 498.90km2 |
総人口 | 2,471人 (1969年1月1日) |
隣接自治体 | 静岡県 玉川村、梅ケ島村、本川根町 山梨県 早川町、芦安村 長野県 長谷村、大鹿村、上村、南信濃村 |
井川村役場 | |
所在地 | 〒428-05 静岡県安倍郡井川村井川656-2 |
外部リンク | 葵区役所井川支所 |
座標 | 北緯35度13分18秒 東経138度14分29秒 / 北緯35.22172度 東経138.24139度座標: 北緯35度13分18秒 東経138度14分29秒 / 北緯35.22172度 東経138.24139度 |
![]() 中部地域の町村制施行時の町村。9が井川村。 |
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ウィキプロジェクト |
井川村(いかわむら)は、静岡県安倍郡にかつて存在した村である。
1969年(昭和44年)1月1日に旧静岡市に編入され、2005年(平成17年)4月1日に静岡市が政令指定都市となった後は、葵区の一部となっている。
地理
大井川上流に位置する。糸魚川静岡構造線の沿線に位置する山村であり、急峻な山が多い。旧安倍郡ではあるが、大井川流域であるために、榛原郡北部の色が濃い。赤石山脈の南端にあたるため静岡県では珍しい豪雪地帯である。
2013年(平成25年)末時点での人口は、約600人である。
中心部が他の市町村と離れていたため、言語について北関東などと共通する無アクセントの発音があるなどの特徴がある(井川方言)。
歴史
- 1889年(明治22年) - 町村制施行に伴い、安倍郡井川村・田代村・小河内村・上坂本村・岩崎村・口坂本村が合併し、井川村となる。
- 1957年(昭和32年) - 井川ダム完成。一部の集落が井川湖(ダム湖)に水没する。
- 1958年(昭和33年) - 井川林道(現・県道南アルプス公園線)開通。
- 1959年(昭和34年)8月1日 - 大井川鉄道(現・大井川鐵道)井川線が開通し、村内に閑蔵駅、井川駅が開設される。
- 1961年(昭和36年) - 村の人口が約8,400人まで増える[2]。この年をピークに、減少に転ずる。
- 1969年(昭和44年)1月1日 - 大河内村・梅ヶ島村・玉川村・清沢村・大川村とともに静岡市に編入され、静岡市の一部となる。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 静岡市が政令指定都市に移行、葵区の一部となる。
産業
- 水力発電所が多い。第二次世界大戦以前は金が採掘されていた(笹山金山)。
- かつては名産品に「井川メンパ」があった。ヒノキの板を曲げて作った容器で、主に弁当箱が作られている。現在は井川地区で1軒のみ生産しているほかは、主に葵区籠上地区などで作られている。
学校
交通
道路
井川へのアクセスは以下の道路となる。
- 国道473号(島田市より北上する)
- 県道井川湖御幸線(静岡市街地より北上する)
- 県道南アルプス公園線(同上)
鉄道
バス
- 現在は静岡駅よりしずてつジャストラインバスで「横沢」まで、そこから井川地区自主運行バスに乗り換える。「中野」バス停留所までは約2時間30分(1965年当時は静岡駅から井川本村まで約3時間)。
脚注
- ^ 市町村コードは1968年に全国地方公共団体コード(団体コード)が全国の自治体に導入されたが、井川村は翌年1月1日に合併を控えていたため、例外として同コードは導入されなかった。
- ^ 統計書『静岡県の人口推移』(1968年、静岡県企画調整部、静岡県統計協会発行)p.20によると、井川村の1961年1月1日時点での住民基本台帳人口が「8,372人」と記載されている。
関連項目
- オクシズ
- 静岡県の廃止市町村一覧
- 中央新幹線
- 関谷正徳(元レーシングドライバー)
- 望月将悟 (トレイルランナー)
外部リンク
- 静岡市井川観光情報
- 奥大井・南アルプスマウンテンパーク 井川情報ステーション
- 井川「頼る」index - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)
固有名詞の分類
- 井川村のページへのリンク