井川方言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 14:55 UTC 版)
井川方言(いかわほうげん)は、静岡県静岡市葵区旧井川村で話される日本語の方言。静岡県内の他の方言とは違いが大きく、言語島とされる[1]。本稿では同様の特徴を持つ大井川上流域の川根筋(川根本町の一部)および藁科川上流域(静岡市葵区の山間部)の方言についても併せて解説する。
アクセント
東京式アクセントが広く分布する東海地方において、唯一の無アクセント地帯である[1]。近隣地域の住民は本方言の無アクセントの語調を指して「ギラ」と言う[1][2]。無アクセントの分布域は、大井川流域では静岡市旧井川村・旧本川根町全域・旧中川根町北部(徳山・田野口・壱町河内・小井平・藤川)・旧川根町笹間奥(粟原・二俣・久野・日掛)、藁科川流域では静岡市旧大川村・旧清沢村の一部(杉尾・蛇塚・峰山)である[1]。小泉保は無アクセントを古語の特徴の残存としている[3]。
なお、本方言に隣接する旧中川根町水川・上長尾などには、東京式よりも型の少ない特殊なアクセントが分布する(詳細は静岡弁#アクセントを参照)。
発音
- 共通語のハ行音に対応して語頭に[p]が立つことで知られ、井川のほか、安倍川上流域の旧梅ヶ島村・旧玉川村・旧大河内村の一部で確認されている[1]。かつては古音の残存とする説もあったが、その後新しい音変化とする説が有力となった[1]。大部分の動詞と一部の形容詞で現れ、名詞や副詞では稀[1]。大川では語頭の[p]は稀で、接頭語を伴う場合が多い[2]。
- 駿遠では一般的に語中語末のガ行音は鼻濁音であるが、井川・大川・清沢の一部では破裂音[2]。
- エ→イ、オ→ウの狭母音化が起こる[4]。
- 語頭の/e/が[ye]と発音される場合がある(静岡県の山村地帯共通)[2]。
- 富士川から金谷町付近にかけての平野部では無声子音に挟まれた[i][u]の無声化が目立たないが、本方言では東京と同程度に無声化する[1][2]。
- 井川と大川では助詞「を」を[wo]と発音する傾向がある[1]。
- 無アクセント分布域一帯で、有声子音/d, z, g, b/の前に促音が立ちうる[1][2]。共通語の「撥音+有声子音」に対応するものと、強調のために促音が挿入されるものがある[1]。
- 井川と旧本川根町梅地・犬間では、語末において意志・勧誘を表す助動詞相当の促音(声門閉鎖音)が立ちうる[1]。
文法
文法は県内の他の方言と共通する点が多いが、古い表現法なども見られる。
- 駿遠の山村地帯共通の特徴として、待遇表現が未発達[2]。
- 駿河一般で共通する助動詞として、推量「ら」「ずら」、意思「ず」、過去「け」を用いる[2]。
- 駿河西部・東遠と共通して勧誘「ざー」を用いるが、「行く」のみ「いかざー」ではなく「いじゃー」と言う[1]。県西部に多い「まい(か)」も用いる[1]。
- 井川・川根筋・藁科川上流域および玉川・梅ヶ島・旧大河内村有東木で、否定「のー」を用いる[1]。上代東国方言の「なふ」に由来するものとされ[1]、同じく言語島として知られる山梨県奈良田方言と共通する。
- 井川および旧本川根町梅地・犬間では、禁止の助動詞に「な」と「そ」を併用する[1]。大川でも「そ」を用いるが、1970年時点で既に稀になっていた[2]。古語「な ……そ」の名残と見られる[1]。
- 一段動詞の命令形語尾には県西部と共通する「よ」を主に用い、通常拗音形となる[1]。
- 井川・川根筋および玉川・梅ヶ島・大河内などで、状況可能に「さる」という独特の助動詞を用いる[1]。
- 理由の接続助詞には「で」「もんで」を用い、静岡市から伊豆にかけて特有の「んて」は用いない[2]。
例文
- 1970年に山口幸洋が旧大川村で方言調査を行った際の住民(明治30-40年代生まれ)とのやりとり[2]。()は山口の発言。なお、読みやすさのため、ローマ字表記をひらがな表記に、アクセント記号を「」から[]に改めるなどした。
- (それから、人が向こうへ行くっていうことを、パシルっていう風に)
- A:ぱ[し]るって、いっ[ぱし]るっ[て]な]ー
- パシルって、イッパシルってね
- C:ぱ[し]るってゆー いか]ーじゃ]ー
- パシルって言う 井川では
- B:ぱ[し]るってゆーだ[よ いかー]じん[わ
- パシルって言うんだよ 井川の人は
- A:ぱ[し]るこ]とだ、こ[こら]じゃ いっぱし]るって ゆーで[な]ー、ど[ろどろん いっぱし]って みしょ]ーって こーゆーっだよ]ー
- パシルことだ、ここらでは イッパシルって 言うからな、「どろどろん いっぱしって みしょー」って こう言うよ
- 中略
- (それからねー、雨が降るっていうことを、ここらへんじゃー、まー井川の方でプルって言うだけどねー、ここらへんじゃー、プルって言わんかいね)
- A:ぷ[る、[ぷ]る、いわの]ー、[ぷるな]んちゃー いわの]ー
- プル、プル、言わない、プルなどとは 言わない
- (それからシップルとかヒップル そうは?)
- A:[う]ん、あ[めが ひっぷってき]たって そ[りゃー ゆー]さ、やいや]い こ[りゃー] あ[めが ひっぷってきたーや]ー、って こーっだ]ーや
- うん、「雨がひっぷってきた」って そりゃあ 言うさ、「やいやい こりゃー 雨がひっぷってきたーやー」って こうだよ
- (うん)
- A:あ[め ひっぷって きた]ーやって ゆーだ ほいだが [ふる]って ゆーこと]ー こー い[せーうぉ つけ]るだーや ここら]じゃー、い[く]っじゃー ほれ、いせー]が わる]いもんで いっ[ぱし]るって ゆーと]な]ー、そ[こ]ー こー、い[せー]が つくっだ[よ だりょ]くが でるだ[な] ことば[に]ー、[ほー]さ いっぱし]るっちゃー[な みんな ゆわ[ー、[み]やちゃんら いわのー[か
- 「雨ひっぷってきたーや」って 言う だけど 「降る」って いうことを こう 威勢を つけるんだよ ここらでは、「行く」では それ、威勢が 悪いので 「イッパシル」って 言うとな、そこを こう、威勢が つくんだよ、惰力が 出るんだね ことばに、そうさ イッパシルとはね みんな 言うよ、ミヤちゃん達 言わないか
- C:ゆー[よ
- 言うよ
- B:[そりゃ]ー しょんないだな やっぱ]し……、ふ[つ]ーの ことばっ[だ]な
- それは しようがないね やっぱり……、ふつうの ことばだな
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al 飯豊ほか(1983;1998)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 国立国語研究所(山口幸洋)「静岡市旧大川村方言(1)」『方言録音資料シリーズ』第13巻、国立国語研究所話しことば研究室、1972年。
- ^ 小泉保(1998)『縄文語の発見』青土社
- ^ 遠藤嘉基ほか (1961)『方言学講座』(全4冊),東京:東京堂
参考文献
外部リンク
- 静岡理工科大学情報学部応用言語学研究室
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