岩手県南部方言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/05 01:47 UTC 版)
岩手県南部方言(いわてけんなんぶほうげん)は、岩手県南部の旧仙台藩(伊達藩)域で話される日本語の方言である。東北方言の南奥羽方言に属す。「仙台弁」を旧仙台藩域の方言の総称と定義する場合、本方言は仙台弁に含まれる。
岩手県中北部の旧南部藩域の方言を「南部弁」と呼ぶように本方言を伊達弁(だてべん)と呼ぶことがあるが、青森県東部も含んで幅広く使われる「南部弁」と比べると一般的な呼称ではない[1]。
概要
岩手県内の方言は近世の仙台藩と南部藩の境界によって二分され、その境界がそのまま南奥羽方言と北奥羽方言の境界をもなしている[2][3]。そのため、盛岡市など県中北部の方言よりも、宮城県の方言の方が近い。ただし久慈市から釜石市にかけての三陸海岸の方言は藩境を跨って共通する部分がある[2]。気仙地方の方言は山浦玄嗣によってケセン語と名付けられ、独自のラテン文字および仮名による表記法が考案されている(詳細はケセン語参照)。
発音
シ・チ・ジがス・ツ・ズに極めて類似した音になり(対して県中北部ではス・ツ・ズがシ・チ・ジに極めて類似した音になる)、シャ行・チャ行・ジャ行の口蓋化が弱いなど、南奥羽方言らしい特徴を持つ(ズーズー弁参照)[4]。
- (例)主人→すんずん、しょっぱい→そっぺー、校長→こーつぉー、五十→ごんずー[4]
また県中北部と比べて、キ・ギの口蓋化・摩擦化傾向が目立つほか、動詞などでラ行音の撥音化・促音化が多い[4]。
- (例)あるべえ(あるだろう)→あんべー、寝るなら→ねんだら、降るから→ふっから、けれども→けんとも[4]
アクセント
型の種類が少ない東京式アクセントである。これは宮城県北部と共通しており、1拍名詞は第一類・第二類が○型(無核型)、第三類が○型で中輪・外輪式と同じだが、2拍名詞は第一類・第二類が○○型、第三類・第四類・第五類が○○型であり、○○型がない[5]。また、3拍名詞は○○○型、○○○型、○○○型の3種類で、○○○型がない[6]。
上記のアクセントが分布するのはおおよそ一関市から三陸海岸(山田町付近まで含む)にかけての地域であり、奥州市付近のアクセントは盛岡市など県中部と共通する[6]。
文法
用言の活用
県南部方言の一例として、一関市方言の活用を取り上げる。
動詞の活用は以下のとおり[7]。県中北部とは、サ行変格活用が異なる(県中北部では「さ-ねぇ(否定)」「せ-ば(仮定)」「せ(命令)」となる)ほか、県中北部ではカ行変格活用で「こら-せる、こさ-せる、くら-せる、きら-せる(使役)」や「くら-ば、くれ-ば、こら-ば、これ-ば(仮定)」など様々な活用形が見られるのに対して県南部ではシンプルな活用形となっている[7]。
未然(否定) | 未然(使役) | 連用(丁寧) | 連用(過去) | 終止連体 | 仮定 | 命令 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
四段 | 書く | かが-ねぇ | かが-せる | かぎ-えす | かい-た | かぐ | かが-ば(古)、かげ-ば | かげ |
上一段 | 起きる | おぎ-ねぇ | おぎら-せる、おぎさ-せる | おぎ-えす | おぎ-た | おぎる | おぎら-ば(古)、おぎれ-ば | おぎろ |
下一段 | 開ける | あげ-ねぇ | あげら-せる、あげさ-せる | あげ-えす | あげ-た | あげる | あげら-ば(古)、あげれ-ば | あげろ |
サ変 | する | し-ねぇ | さ-せる | し-えす | し-た | す、する | すれ-ば、しら-ば(稀) | しろ |
カ変 | 来る | こ-ねぇ | こら-せる、こさ-せる | き-えす | き-た | くる | くれ-ば | こー |
形容詞の活用は以下のとおりで、県中北部と変わらない[8]。形容詞に意志推量の助動詞「べー」が続く場合は、「すずしべー」「ひぐべー」と「すずしがんべー」「ひぐがんべー」の2種類の形がある[8]。
未然 | 連用(なる) | 連用(過去) | 終止連体 | 仮定 | |
---|---|---|---|---|---|
涼しい | すずしぐ-ねぇ | すずしぐ-なる | すずしがっ-た | すずし | すずし-ば、すずしげれ-ば |
低い | ひぐぐ-ねぇ | ひぐぐ-なる | ひぐがっ-た | ひぐ | ひぐ-ば、ひぐげれ-ば |
形容動詞の活用は以下のとおり[9]。複数ある仮定形のうち、主に県南部で見られるのは「しずがだれ-ば」のような形である[9]。
未然 | 連用(過去) | 連用(なる) | 連用(中止) | 終止 | 連体 | 仮定 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
静かだ | しずがで-ねぇ | しずがだっ-た | しずがに-なる | しずがで | しずかだ | しずがな | しずがだら-ば、しずがだれ-ば、しずがだ-ば |
助動詞など
- 意志・推量にはもっぱら「べー」を用いる(県中北部では「べー」に加えて、推量で「ごった」もよく用いる)[10]。
- 過去には「た」のほかに「たった」と「たっけ」があり、「たった」は過去に体験・見聞したことを回想的に表現するもので、「たっけ」は過去の事実を傍観的・伝聞的に表現するものである(県全域で共通)[10]。
- 可能には「ようになる」や「に良い」という表現を用い、不可能には可能動詞や「れる/られる」を用いた形のほか「ことができない」という表現を用いる[10]。県中北部では四段動詞以外でも「おぎれる(起きられる)」「おぎれねぇ(起きられない)」のように一種の可能動詞のような形(いわゆるら抜き言葉)を取るが、県南部では「おぎらんねぇ(起きられない)」のように言う[10]。
- 「もしも……ならば」という仮定表現には、動詞の場合「ごったら」、形容詞と形容動詞の場合「ごったら」または「だら」をもっぱら用いる(県中北部では「ごったら」「だら」に加えて「ば」も用いる)。
- (例)かぐごったら(書くならば)、すずしごったら(涼しいならば)、しずがだごったら(静かならば)[10]
- 県中北部には「かがさる(自然と書いてしまう)」のように自発を表す「さる」があるが、県南部では用いない[10]。
助詞
- 主格「が」は省略されるか、直前の語の母音に吸収されることが多い。「は」も省略されることが多いが、強調する場合にはhaと発音して用いる。目的格「に」は「さ」となることが多い。以上は県全域で共通する[11]。
- 目的格「を」は省略されることが多いが、「どご」を用いることもある(県中北部では「ば」「ごと」)[11]。
- (例)おまえんどご つれでぐ(お前を連れていく)[11]
- 「ので」にあたる接続助詞には「がら」を用いる[12][13](県中北部では「がら」に加えて「はんて」「へで」「すけー」[11])。「だっか」という表現もある[11]。
- (例)そろそろいぐだっか したぐしろ(そろそろ行くから用意をしなさい)[11]
- 「けれども」にあたる接続助詞には「げんとも」を用いる(県中北部では「ども」「が」)[11]。
- 文末表現には男女とも「な」を用いるほか、女性の柔らかい表現として「ね」、男性の柔らかい表現として「なや」がある[11]。丁寧な表現には「ねす」、さらに丁寧な表現に「なむす」があるが、「なむす」は昭和50年代の時点でほとんど使われなくなっていた[11]。
- 間投助詞に「しゃ」「しょ」がある[11]。
語彙
- 一人称代名詞は男女とも「おれ」(県全域で共通)。二人称代名詞は一関では目上「あんだ」、対等「おめ」、目下「んぬ」、卑しめ「きさま」「このやろー」の4段階の使い分けがあり、6段階の使い分けがある盛岡と比べて簡素である[14]。
- 県中北部とは異なる語彙の例は以下のとおり。
脚注
- ^ Googleで「"南部弁"」を検索すると約99,600件ヒットするが、「"伊達弁"」は約1,970件。なお、「"南部弁" -Wikipedia」は約89,700件、「"伊達弁" -Wikipedia」は約868件(2021年12月31日時点)
- ^ a b 平山ほか(2001), 2-3頁
- ^ a b c d e 飯豊ほか(1998), 240頁
- ^ a b c d 飯豊ほか(1998), 246-250頁
- ^ 山口幸洋(2003)『日本語東京アクセントの成立』(港の人)「準二型アクセントについて」p.295-p.309
- ^ a b 飯豊ほか(1998), 241-245頁
- ^ a b c 飯豊ほか(1998), 251-255頁
- ^ a b 飯豊ほか(1998), 255頁
- ^ a b 飯豊ほか(1998), 256頁
- ^ a b c d e f g h 飯豊ほか(1998), 257-262頁
- ^ a b c d e f g h i j k l 飯豊ほか(1998), 262-265頁
- ^ 平山ほか(2001), 48-52頁
- ^ 平山ほか(2001), 43-47頁
- ^ 飯豊ほか(1998), 265-266頁
参考文献
- 岩手県南部方言のページへのリンク