非難と造反
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 05:44 UTC 版)
マルコスによるあからさまな開票操作は、野党連合のみならず、フィリピンに大きな影響力を持つカトリック教会やアメリカ合衆国連邦政府からも非難を浴び、コリーと支持者たちは「明らかな不正選挙が行われた」として、これを受け入れず抗議を行った。多くの国民が貧富の差を超えて同調し、人々は右手親指と人差し指で L (laban、タガログ語:闘い)の指文字を掲げ、“闘うぞ”とアピールした。フィリピン国内各地では、コリーのシンボルカラーであった黄色のシャツを着た人々による反マルコスデモが沸き起こり、マニラでは100万人がエドゥサ通りを埋めた。 2月22日には、選挙結果に反対するフアン・ポンセ・エンリレ国防相やフィデル・ラモス参謀長らが決起し、「マルコスをもう大統領とは認めない」と表明し、国防省のあるアギナルド空軍基地(英語版)(フィリピン独立革命に功績のあったエミリオ・アギナルドにちなむ)に篭城するなど、マルコス体制を支えてきた軍の高官たち、冷戦下において反共主義を採り続けてきたマルコスの事実上の後見人的存在であったアメリカ政府も、この時点において完全にマルコスを見放した。
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