野党連合
野党連合
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/11 13:46 UTC 版)
総選挙勝利で、大統領と国会、地方自治体(全羅道を除く)の三つの権力を掌握したハンナラ党と李明博政権に対抗するため野党勢力は、民主党と他の群小政党(民労党・創造韓国党・国民参与党・進歩新党)に市民社会勢力を加えた共同体を組織する道が模索されるようになった。李明博政権発足直後に起きた米国産牛肉反対運動(蝋燭デモ)が一段落した後の2008年11月、金大中元大統領の「民主労働党、民主党、市民団体を網羅した広範囲な連合」の呼びかけに続き、民主党・民労党・進歩新党・創造韓国党と蝋燭デモに参加した市民団体で構成される民生・民主国民会議が発足したことで、「民主連合」に向けた議論が活発化した。 2010年6月の全国同時地方選挙を目指した野党連合の議論が活発化、地方選挙において選挙連合を組織した。ソウル市や京畿道の首長選挙では民主党と小政党(進歩新党・国民参与党)の間で合意が成立しないなどの課題もあったが、野党は2006年選挙と比較して当選者を1.8倍に増やしハンナラ党に圧勝するなど大きな成果を得た。
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