アメリカからの支援
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/07 18:11 UTC 版)
アメリカ当局によるコントラ組織統一の試みを受け、1985年6月ニカラグア野党連合(UNO)がアルフォンソ・カレロ、アルトゥーロ・クルス、アルフォンソ・ロベロらの主導で結成された。UNOが1987年始めに解散されると、5月にニカラグア抵抗(RN)が結成された。 こうして低強度紛争を行う彼らをアメリカのロナルド・レーガン大統領は「自由の戦士」と呼び、ニカラグアへの攻撃を賛美した。ニカラグアのダニエル・オルテガ大統領はこうした態度に鑑みて、率直に「レーガンはテロリストだ」とことあるごとに語った。 イラン・コントラ事件によって、レーガン政権による援助が難しくなった時期に「統一教会」(統一協会)の教祖・文鮮明がレーガン政権の要請を受けて創設した新聞『ワシントン・タイムズ』でコントラに対し、1,400万ドル(当時のレートで約35億円)を援助することを申し出た。 1988年3月23日、コスタリカの仲介でサポア停戦合意が結ばれ、翌年の追加合意でコントラの武装解除と再統合が計られた。この合意により国際監視下での選挙が1990年2月25日行われ、国民野党連合のビオレタ・チャモロがダニエル・オルテガを破り大統領に当選した。いくらかのコントラ分子及びサンディニスタの一部は1990年代の短期間武装反乱を起こしたが、いずれも武装解除するように説得された。解散後も一部の元兵士がレコントラを結成して抵抗を続けた。
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