南北の分離独立とは? わかりやすく解説

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南北の分離独立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 03:39 UTC 版)

朝鮮戦争」の記事における「南北の分離独立」の解説

1948年8月15日ソウル李承晩大韓民国成立宣言金日成はこれに対抗し9月9日ソ連後援得て朝鮮民主主義人民共和国成立させた。この結果北緯38度線占領国引いた占領境界線ではなく事実上当事国間の「国境となった建国後南北政府李承晩大統領は「北進統一」を、金日成首相は「国土完整」を主張し、共に政治体制異な相手国を屈服させることによる朝鮮半島統一訴えたその後金日成李承晩倒し統一政府樹立のため、ソ連指導者ヨシフ・スターリンに南半部への武力侵攻許可求めたが、アメリカとの直接戦争望まないスターリン許可せず、12月ソ連軍朝鮮半島から軍事顧問団残し撤退した1949年1月-4月ソビエト連邦電信文書によると、ヴェァシエフスキーがスターリン送った電報によると、韓国軍は計37回の侵略部隊派遣し北朝鮮辺境都市侵入した1949年6月には、アメリカ軍軍政解き司令部軍事顧問団残し撤収した。それを受けて北朝鮮は「祖国統一民主主義戦線」を結成したその後大韓民国では8月12日ジュネーヴ条約調印し麗水・順天事件受けて南朝鮮労働党はじめとする国内左翼、反李承晩勢力除去為に11月国家保安法成立するなど、国家としての基盤作り進んでいた。1949年12月24日韓国軍聞慶虐殺事件引き起こし共産匪賊仕業とした。 同じ頃、地続き中国大陸ではソ連支援受けていた毛沢東党主席率い中国共産党国共内戦勝利し1949年10月1日中華人民共和国建国された。一方アメリカからの支援途絶え敗北した中国国民党蔣介石総統率い中華民国台湾脱出した台湾国民政府)。親中派フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領率いアメリカは、蔣介石率い国民党政府第二次大戦中熱心に支援していたが、1945年ルーズヴェルト死去するとともに大統領になったハリー・S・トルーマン米国仲介し双十協定ジョージ・マーシャルによる共産党との調停国民党破った看做し支援打ち切り1950年1月5日には中国人民解放軍国民党追撃して台湾介入しないとする声明 まで発表して台湾逃げた国民党見放した政府内の中国共産党共感者(チャイナ・ハンズ)やスパイ影響受けていた。

※この「南北の分離独立」の解説は、「朝鮮戦争」の解説の一部です。
「南北の分離独立」を含む「朝鮮戦争」の記事については、「朝鮮戦争」の概要を参照ください。

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