南北の探検とは? わかりやすく解説

南北の探検

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 00:21 UTC 版)

笹森儀助」の記事における「南北の探検」の解説

農牧退職後の笹森は、それからの約10年間のうちに日本周辺数多く探検し、その記録を残すことになるが、その嚆矢となったものが、まだ農牧社長地位にあった1891年明治24年4月から6月にかけて行なった「貧旅行」と称する旅行である。これは、民党当時は、野党のことをこう呼んでいた)が主張していた地租軽減地価修正論の是非を確かめることと、各地生産力生活の実態確かめるために行なわれたものであり、近畿から九州にかけての広い地域調査されていた。また、この旅行では、各地史跡例え都農神社能褒野王塚古墳など)について詳細な調査記録残しており、これは現在でも資料としての有効性があると評価されている。 1892年明治25年)には、陸羯南助言得て千島列島巡行行なっていた軍艦磐城便乗先行して千島列島探索行なっていた片岡利和一行合流し占守島幌筵島探検行なった帰還後、この体験と、片岡一行現地古老からの聞き取りなどをまとめ『千島探験』を著す。これは井上毅通して上奏され、天皇閲覧した。なお、この探検直後郡司成忠千島拓殖行なっているが、笹森は「千島開発寒冷地を知る地方人が自ら資金投じて行なうべき」としてこれに批判的であった。 翌1893年明治26年4月千島探検のことで井上馨内務大臣面会した際に、国内製糖振興のため、南島の糖業拡大可能性を探るように依頼された。笹森より以前沖縄各島探検調査行なっていた植物学者田代安定教えを請うなど準備整えた笹森は、同年5月から、琉球諸島中心とした南西諸島探検に向かうことになる。なお、当時沖縄県、特に先島諸島ハブマラリア跋扈する危険な辺境の地であり(実際に例え田代安定調査の中でマラリア罹り笹森訪ねた頃はいつ回復するとも知れない病状にあった)、笹森としても死を覚悟して渡航であった沖縄着いた笹森は、沖縄本島慶良間諸島宮古島石垣島西表島与那国島石垣島宮古島沖縄本島各島回り製糖実情やその他農業・水産業調査伝存文書発掘などを実行しているが、そのかたわらで笹森見たものは、悲惨な生活に追い込まれている住民の姿であった当時沖縄では、琉球王国時代支配者層への懐柔策として旧慣温存政策が行なわれており、過酷な税金身分制度多く残っていたのである中でも人頭税課されていた先島諸島は特に悲惨であり、例え宮古島笹森見たものは、薄暗い織屋懲役人のように座って人頭税である先島上布折り続け娘たちの姿であった鳩間島新城島黒島などといった小島は、米の栽培できないにもかかわらず人頭税として米が徴収されていたため、これらの島の住人サバニ西表島まで出かけて米の耕作をしなければならなかった。この他小学校開けないような僻地から学校税が取り立てられることさえあった。その一方で、こうして集められ税金旧支配者層である士族達は豊かな生活を送っていた。また、八重山ではマラリア蔓延もひどいものであり、石垣島では半分以上集落が、西表島至っては島全体がその巣となっていた。そして、そのような状態であるにもかかわらず住民薬代請求恐れて病気言いだすことができず、人々次々と死んでいくことから島には廃屋あふれていた。 笹森は、このような集落丹念に訪ねてまわり、その様子を詳細に記録する東京帰還後笹森はこの沖縄行の様子を『南嶋探験』という書に著したが、その中でこの惨状最大原因人頭税だとしてその廃止訴えた。これは、同年宮古島起こった人頭税廃止運動にも大きく影響与えている。政府意向での沖縄であったにもかかわらず、『南嶋探験』が政府および沖縄県庁無策糾弾する内容となっていることは、「笹森保守的な傾向をもっていたとはいえ自分見たものを言葉または文章で裏切らないという点で、その精神まさしく革新的であったそのこと今日でもこの書を不朽のものとならしめている」と評価されている。

※この「南北の探検」の解説は、「笹森儀助」の解説の一部です。
「南北の探検」を含む「笹森儀助」の記事については、「笹森儀助」の概要を参照ください。

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